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 風船おじさんの3女の娘さんがバイオリニストとしてデビュー

 1992年11月23日夕刻、太平洋横断を夢みて飛び立った風船おじさんはどうなった?。最近その奥さんの石塚由紀子さんが長い沈黙を破ってその名誉回復の著書『風船おじさんの調律』(未来社刊)を出した。 彼が飛び立った琵琶湖畔の現場に私が居合わせたので、当時マスコミの総攻撃を受け、約1週間は電話のベルが鳴りっぱなしだった。同年末の十大事件の有力候補にもなった。人命にかかわることだし、私と同じく現存する多くの関係者がおられるので、私も沈黙をつづけてきた。

 彼は調律師で音楽をこよなく愛し、彼は一途に音楽を追及する、その一端だった。その説明は同著にゆずる。第二次大戦末期の風船爆弾がコンニャク粉と砂時計に依存していた経緯から、私がデータを集めていたのが風船おじさんとの出会いだった。私は飛行蜘蛛に託する予定だったが、私が持ってゆきますよと。蜘蛛ではなく生身の人間になった。鳴き砂が楽音を発し、ミュージカルサンドと呼ぶ縁で島根の仁摩サンドミュージアムから11月14日に出発予定だった。彼は命をかけてミュージカルサンドをスポーツ誌まで動員してマスコミに乗せた最大の功労者であったことは確かである。

 彼はまだどこかで生きていると信じている三女がバイオリニストとして東京・六本木のオリベホールでお披露目イベントでデビュー。ともかくよかった。おめでとう。サイトは検索「fumiko」でヒットする。彼女のHPにはこう書いている「鳴き砂 「ピアノ調律師だった父は、踏むと「キュッ、キュッ」と音のする「鳴き砂」の保護、環境保護を訴えるため、アメリカのネバダ州サンド・マウンテンへ向けて、風船で飛びたって行きました。自然への愛を訴え、夢を生きた父。夢が失われつつある今、父の夢の続きを、私は音楽で奏でたい。そして、いつの日か、サンド・マウンテン(http://www.bigai.ne.jp/~miwa/sand/2ji.html)でコンサートをするのがひとつの夢」……と http://www.universal-music.co.jp/classics/j_classic/fumiko/

 

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