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風船蜘蛛は西洋でも知られていた:(昆虫記のファーブルも)
ヨーロッパ人は青空をしずかにながれる白い清浄な糸の神聖感から聖母マリアを連想したり、妖精と結びつけたりした。しかしその正体をクモの仕業と認めるのはかななり後世だったようだ。
ファーブルもファーブルの文学的才能がほとばしりでたような名文で、クモの旅立ちが描かれている。「いまこの群はその出発準備を終えた。大群となって旅立つ時間が来ている。流木の頂から旅立ちの群が間断なく飛び立つのはこのときだ。それは自動弾丸のように打ち出され、ごちゃごちゃに群がって上昇する。最後にはこれは花火の花束だ、同時に放った沢山の火箭(ひや)の束だ。この比較はその輝きの点まで正確だ。陽に照らされて炎のようになり、輝く点となっている小さなクモは、生きた花火の火の玉だ。何と栄光にみちた出発だ! 何という人生への門出だ。!飛行の糸につかまって、このちび助どもは祝福のうちに上昇する」。まことに心よい流れの文章で、ファーブル独特の表現は、たたみかけるように読者に迫るのである。しかし、わたしには、窓の上においたカニグモの旅立ちの実験観察と、この液木の頂から飛びたつ子グモの大群との関係が、いまもってわからない。
ダーウインも書いてはいるが不正確。