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石臼挽き黄な粉の話
私が京都・今出川の同志社大学にいた頃、年末の12月26日には年末恒例の臼まつりがあって、盛大にもちつき大会をやった。普通の日では厄介なので、学生の人波が引いた頃をねらってのことだ。研究室の学生がメインだが、毎回黒山の人だかり。2斗準備した餅はその場でペロリと平らげてしまった。臼の研究室の面目にかけて、道具類は伝統に従っているから、今どきの神社やお寺のもちつきの比ではなく格調が高いため、京の歳末風景のひとつとしてテレビや新聞にも出ることが多かった。それに使う臼と杵の講釈は別の機会にして、黄粉もちの黄粉について解説する。毎年のことだが、学生たちに「黄粉を準備しろ」と命ずると、いちように不思議な顔をする。「え?黄粉なんて、店で買ってくるんじゃないんですか?そこで私は「当研究室は粉体工学研究室だよ。大豆を買ってきて、炒って、石臼で挽くんだ」。それを聞くと学生たちは「へえ一、黄粉の素は大豆なんですか。知らなかった。」と意外な返答に、私の方があきれてしまう。だが無理もない。加工食品万能時代なんだ。さて、でき上った黄粉を見て、「こんなにザラザラしてもいいんですか。店で売っているものはもっと細かくて、もっと褐色ですよ。」とまたまた驚きの目を見はる。ところが食べる段になると、今度は「黄粉って、こんなに香ばしいものとは知らなかった」とくる。黄粉の粒子は、それぞれ味と香りのバリエーションを担っている。粗い粒子は粗いなりに、細かい粒子は細かいなりに、独特の味と香りと舌ざわりの重要な役割を分担し合っているのである。ところが、店で売っているのは一様に細かい。なぜだろうか。
黄粉の粒度の比較
それはロール製粉機のために細かくなってしまうのと、もうひとつは、細かい方が袋に入れたときの見ばえがよいからだ。黄粉のほんとうの味を知らない素人は、ザラザラしていると粗悪品と勘ちがいするらしいのだ。本当は細かいと粉っぽくてまずいのだ。表は、スーパーで売っている黄粉と、後述する静岡へ納入した私の石臼器械の石臼挽き黄粉の粒度を比較したものである(安倍川餅用)。これくらいの粒度が舌ざわりもいいと思うが、好みによってはもう少し粗くてもよかろう。
参考のため、上記の粒度について、説明しておく。黄粉のような粉末の粒度を、もっとも手っとりばやく測定する方法は、標準ふるい(JIS)である。しかし、ステンレスや、真ちゅう網では目がつまって、ふるいにくい。こういう食品には、最近開発された、塩ビ枠、スタンダードナイロン・シーブが最適である。水洗が可能であり、目詰りは専用電動ブラシが有効である。(メーカー:東京・筒井理化学器械Tel.03-3845-2011)。ところで、上表のふるい目開きは、1982年改正のISOに準じたJISの値である。これは、黄粉の歯ざわりに顕著な役割を果しており、「豆をたべているなあ」という感じを与える。一方、スーパーのはこの粗粒がないから、舌にべつたりつき、粉っぽい感じである。カットの絵は、両方の黄粉を、双眼実体顕微鏡でみたときのスケッチである。いずれも大きい粒子に、細かい粒子がまぶされた姿であるが、全く印象がちがう。ことに、スーパーのには、うすい板っぺら状の粒子が含まれ、また真黒い粒子も含まれている。これらは豆の皮である。細かくすれば皮も製品になるから安いのだ。その代り、色が褐色になっている。石臼挽の場合は、炒ってから皮を除去している。そのため、板っぺら状の粒子がなく、これが、色を黄色(金色)にし、舌ざわりもよく、粉っぽさがない。125ミクロンのふるいを通るような微粉をみると、石臼挽に比し、スーパーのは、それが3倍ちかくも含まれている。これでは粉っぽいわけだ。当時は静岡駅の駅ビルの一階の食品店に、石臼挽の黄粉を販売していた。商品名「金な粉」とあった。そして電動式の石臼が展示され、石臼挽の実演もやっていた。さきに示した表の石臼挽は、この粉のデータである。この機械の設計を"やまだいち"の社長からたのまれたのは、2年程前のことであった。蕎麦と小麦には自信があったが、黄粉は油分が多いのでたいへんむつかしい。目立てには特別の工夫がいるので、随分、実験をくりかえしたものである。回転速度も特に遅くしないことには、よい粉が挽けない。石臼の溝に油っぽい粉がつまると、粉が出なくなるばかりか、粉が熱をもってきて、味がまずくなる。香りも飛ぶ。黄粉には豆の産地を選ぶことも大切である。飼料用の外国産大豆では、とうてい、うまい黄粉はつくれない。また、炒り方も大切である。フライパンで炒ったのでは、炒りムラができ、均一に妙れない。私は石焼きいもの要領で、大豆より細かい鳴き砂で琴引浜の鳴き砂が使われていることを、網野町で聞いた。実際にやって見て、古人の知恵に感嘆しいた。確かにここの砂は丁度よい粒度が含まれている。ただし鳴き砂ならなんでもよい訳ではない。また細かい部分はふるい分けして除去しておく必要があった。あとですなを大豆より小さいふるいでふるい分ける。熱媒体法という。ふるいは金網では目詰まりした砂がとれないから、使い物にならない。絹かナイロン網がよい。かなりのノウハウが要るので、2002年10月オープンした琴引浜鳴き砂文化館あたりで、販売してくれたらと思う。砂は浜砂は天然記念物で採取できないが、会館付近の砂を原料にしたらと思う。
皮は荒くだきしてから、皮を風選で除去する。これも専用の機械が開発されている。
ところで、私の友人に、鶯を飼う名人がいる。野生の鶯を捕えてきてきな粉入りの練り餌で育て、コンクールに出る。この男も、私に石臼をつくってくれという。彼の注文はひときわむつかしい。「とにかくよい声が出る粉をつくれるようにしてくれ」という。これは難題だが、「よい粉をつくれば、うまいから、よく食べてくれるし、声もよくなるにちがいない」と考えて、挑戦してみた。この方は鶯が食べるだけずつ、少し挽くのだから、小型でなければならぬ。臼の溝にたくさん残っても困る。直径15cmぐらいの小型の石臼は、昔の道具ではとうてい作れそうもない。強く叩けば石が割れてしまうからだ。そこで特注のダイヤモンドエ具を製作して対処した。世が世なら、鶯好きの殿様に献上すれば、おほめをいただけそうな品物になった。さて、この臼で挽いた黄粉は大成功だった。
彼は毎日、欠かさずこれで鶯を育て、自慢の声を楽しんでいる。現代風のぜいたくで、本物指向の粋な生活はこの辺にあるのかも知れない。味も香りも失われた加工食品を食べていると、声までだめになるようだ。石臼挽のお話をすると、必ず質問される事項を次に問答形式で示しておく。
問「私の家に古い石臼があります。目立て法を教一えて下さい」
答「一週間程、私の研究室へ弟子入りして下さい。本をよむだけではとても無理です。」
問「石臼を目立てしてくれる所を紹介して下さい」。
答「ないわけではありませんが、古い臼では、嫌やがられるでしょう。石屋さんの中にはやってくれる人もいますが、その前に、こう聞いてみて下さい。"目立てとはドレッシングのことだそうですね"と。この問の意味が通じなければ、彼は、粉を挽いた経験のない石屋さんです。
問「古い石臼を役立てる方法はありませんか」
答「昔の石臼は、昔の生活様式に合ったものでしたが、現代には合いません。私のは今様の石臼です。加工方法も、道具も、石材も、全くちがっています。そうでなくては進歩もないし、昔の人に笑われますよ
問「どこが昔とちがうのですか」
答「目立ての精度が著しく向上しています。
また粉に応じて、目立て方法が違います。上下臼の磨りあわせ精度も著しく向上しました(五十分の一ミリ)。石材に限らず、最近ではニューセラミックスの石臼だの、積層式の石臼だのが登場しています。
参考文献
1)CHU YUNG- SHUNG:SoybeanProteinFoodinChina,J.Am.OilChemist'sSoy.,81,96A(1981)
2)岡田千代子等:乳腐の一般成分、アミノ酸および揮発酸に関する研究、栄養と食糧、27、309(1974)。
3)桂正子、福場博保:豆腐館に関する研究、家政学雑誌、31、167(1980)。
4)川口豊、松岡博厚:Saccharomycesfragilisによるチーズよう大豆蛋白食品の製造、日食工誌、28、1(1981)。
5)W.M.ABOUEL-ELLA:HardCheeseSub-stitutefrom Soy Milk,J.FoodScience,45,1777(1980)
6)SmithandCircle渡辺篤二、柴崎一雄翻訳監修:大豆タンパク質一その化学と加工技術一建吊社、1969、p.257
7)渡辺篤二、海老根英雄、太田輝夫:大豆食品第二版、光琳、1980、p.196
8)平山謙二郎、:熊本の味、熊本日日新聞社、1981、P.136
9)熊本開発研究センター:熊本の食べ物、p.124
(1981年より『食生活研究』Vol.1誌12回連載「粉体夜話」第6回の粉体雑話より復活増補しました)