古来有名な火打石の産地
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岐阜県の養老山系でも蛙砂が

 

 1998年1月6日の現地の新聞(岐阜新聞)の特集記事「ぎふ海紀行」に養老の石も白砂の歌 という記事がでた。この記事はウソのような話だが事実だ。私がはじめて養老山系から 採取してきた火打ち石を砕いて、鳴き砂製造に成功した丁度その日(1997年末) ひょっこり来た同紙の永井記者に話した。
 今回養老で鳴き砂が生成した意味は、生物の化石であるのフリント(チャート)からの 製造だということだ。チャートは日本古生物学会編『古生物学事典』(朝倉書店、1991) によれば

放散虫の骨格や珪質海綿の骨針ときには珪藻類の殻といった珪質生物 (古生代の放散虫)の遺骸が、深海底に多量に集積して形成されたものである。

とある。この現地の川は揖斐川を経て伊勢湾に注いでいる。伊勢湾に現在は鳴き砂は ないが、太古は伊勢湾にも鳴き砂があったと想像するのは楽しい。ここまで聞いて 「チャートは珪酸質だからあたりまえだ。」という人もあるが、それは自分で鳴かせて 見てから発言してほしい。鳴かせられるなら鳴かせて見よだ。容易ならぬ苦行を積まねば ならぬ。
 なお現地養老郡の各地にこれを村おこしの起爆剤にしたらと働きかけたがチンプン カンプンだった。ようやく火がついたのは山形県飯豊町だが、これにも発見後約20年を 要した。無理もない。

 

 

奥養老・上石津町下山より庄ケ嶽を望む。1998年1月20日撮影