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鳴き砂か、鳴り砂かの論議は下記で決着済み 

鳴り砂と呼ぶのは東北訛りの老人だ。

鳴き砂か鳴り砂かの論議があるが既に決着済みである。英語でも呼び名は一定していない。Singing sand, Musical sand, Squeaky sand, Sonorous sandがそれだ。

1. 日本に古来からの名称はなかった。日本最初の研究者新帯国太郎は大正15年に鳴る砂と呼んだ。1929年金尾宗平は歌い砂(音楽砂)と書き、1937年 栗原嘉名芽は応用物理の報告で鳴り砂,1952年土橋正二は鳴砂、1968年地質学会誌で坪井博士は歌ひ砂と呼んだ。橋本万平は鳴り砂だった。渋谷 修も1972年東北大学の岩井淳一教授記念論文集で鳴り砂だった。そのご1966年頃千葉大学の高浜 光が網野に来て、松尾栄治さんに鳴り砂と言ったのが現在の掛津で鳴り砂の元になったらしい。掛津にも古来の呼び名はなかった筈だ。  私も初期には論文に鳴り砂と書いたが、高名な物理学者から注意された。「鐘は自由振動だから鐘が鳴るというが、鳴き砂の音は強制振動現象であるから鳴き砂と呼ぶべきである」と。平凡社の百科事典編集にあたって、編集局が慎重に調査した結果鳴き砂になった。それ以来鳴き砂に統一してきた。仁摩サンドミュージアムでも町の老人は鳴り砂と呼ぶが問題にされない。すでに決着済みだが、むしかえす老人がいたら、「おもしろい。下記の論議を覆す気があるか」と問えばよい。これは科学の話で国文学者の出番ではないのだ。しかし後述するように若い国文学者も万葉集にはないという。

2. 三輪は日本砂丘学会誌報告46巻2号(1999)に以下を報告した。

 日本列島の先住民族といわれるアイヌ語にキリキリkiri-kiriという語があり、歩けばキリキリと音を立てる砂浜とある(『地名アイヌ語辞典』)。

 岩手県上閉郡大横町吉里吉里は井上ひさし著『吉里吉里人で有名になったが,現地の砂は1982年4月に訪たが鳴き砂ではなかった。

3 地名から:地名を追う方法もある。宮城県では,九九鳴浜,十八鳴浜,鳴浜,十八成浜と古人はそれぞれ浜の名に,鳴き砂の存在を伝えた。この種の地名はほとんどが音から来ているらしい。九十九里浜についてはすでに大先輩の新帯が指摘し,現在の成東町には鳴浜という地名もある。九十九里浜の臨海村落で,岡,新田,納屋の三集落からなる半農半漁の村落だったが,1955年に緑海村と鳴浜村の一部を編入して成東町になり,残の鳴浜村は片貝町と豊海を合併して九十九里 町なった。現地を訪ねてみると,鳴浜中学校や鳴浜農協など旧名が残り,タクシーに鳴浜というとの浜に案内してくれた。しかし鳴き砂の気配はかった。成東町歴史民俗資料館に九十九里の波音をたたえた歌人伊藤左手夫の資料がある。保存された左手夫の生家に入って耳を澄ますと浜鳴りが聞こえてきた。砂鳴(さなる)といえば気になるが,'他人の空似である。浜松の近くに「佐鳴湖」があるもそれだ。高知の琴ケ浜は黒い砂で松籟を琴のにたとえたらしい。

4. 鳴き砂か鳴り砂か:高名な国文学者がしつっこく鳴り砂説をぶった。万葉集にあると。万葉集:読売新聞の窓欄によみ人知らず(報道では額田王の歌とあった)として万葉集にも鳴り砂の記載があると報じたことがある。これについて駒沢大学院生の伊藤達氏が調査した。原文は「紫之名高浦之愛子地袖耳触不寝将成」で万葉仮名で書かれている。現代文で「紫の名高の浦の砂地神のみ触れて寝ずカりなむ」意味は「名高の浦の砂浜に袖が触れたけで,寝ずじまいになるのだろうか」は実に高尚な意味深である。語釈は砂地一組かい耐ある所。マナゴには愛児,いとしい少女の意音語があり,原文「愛子地」の表記もそれにかけているのだろう。旅先で言葉をかけた可憐な少女をたとえたものであろう。場所は、名高の浦 和歌山県海南市名高町の海岸。この歌は鳴き砂のことを詠んだ歌ではなさそうだ。鳴り砂と呼ぶ老人がいるが、日本ではきまった呼び名は存在せず、初期には歌い砂(シンギングサンド)などと呼ばれていたものだ。  語釈は日本古典文学全集(小学館)による。他の注釈を見ても鳴き砂と解釈したものはない。少女との淡いかなわぬ恋を詠んだ歌のよう。ちゃんと万葉仮名を理解してからにして。ちなみに,同書万葉集巻七にある。

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