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オーストラリアで新しい鳴き砂発見と新世界鳴き砂情報

1835年2月、チャールズ・ダーウィン Charles Darwin は、 ビーグル号で西南オーストラリアに上陸したが、彼はここを不毛の地と書いている。
最近この地を訪れた 川端祐人氏 は、ここに鳴き砂を発見 して朝日新聞1998年11月24日(夕刊) に記事を書いている。 西南オーストラリア Albany 近郊のフィッツジェラルド川国立公園 である。 荒れ果てた土地で乾燥と悪い土壌に強い植物だけが生育している。 これは表土を覆うパイオニア植物として利用可能かも知れず、 人類の遺産としてユネスコの人類の遺産としてバイオスフェア計画 (bioshere) に登録された。
 川端氏は、
「海岸の白砂は鳴き砂で、一歩一歩、歩くごとにキュッキュッと音を立てた。」
と書いている。

 オーストラリアはまだまだわれわれが知らなかったことが多い。
第4次世界鳴き砂調査団 がオーストラリアを訪問した際に、 現地で会見したAtok教授 から クイーンズランド州 Frazer島 にも鳴き砂がある ことを聞いた。 彼は島根県仁摩町で開かれた世界鳴き砂シンポジウムに奥さん同伴で招かれて発表したが、 時間不足で充分聞くことができなかった。
そのFrazer島の鳴き砂が最近TBSテレビで放送された。 その砂が鳴き砂であることを私も確認し、その砂は今も保管している。 すばらしい鳴き砂だった。
TBS テレビの河野英輔氏からの資料によれば、 その島は 南北120キロで、すべて砂丘であるという。何百という移動する砂丘が連なっている と。 高さは最高240メートル。それが鳴き砂ならブーミングサンドのはずだ。 現地ではその事実を知らないでいるようだ。Atok教授もはっきりその話をしなかった。その後送っていただいた砂の試料から間違いなく鳴き砂と確認した。白い砂と茶色の2種があった。朝日新聞1998.11.24号(夕刊)の西オーストラリア35億年の旅という記事になった。
最近雨の多い密林もあり、珍しい野鳥や両生類、樹木の生息地 でもある。 しかし製材業者や鉱山業者はこの島の保護政策に反対してきたという。
 この島では先住民バジャラ族の言葉で天国を意味する「クガリ」と呼ばれていた。 1万9000年前から2000人近い先住民が平和な生活を送っていた。 島は彼等の神話によれば島は創造の神ベイラルの賜物だった。
 だが1836年にこの島を襲った暴風雨がこの平和を急変させた。 そらは1992年にこの島がユネスコの世界遺産に指定されるまで続いた。 1836年の暴風雨によりこの島の岩礁上に座礁したヨーロッパ人の舟があった。 船長Frazerとその妻は捕えられたが、先住民達は彼のうまい話に乗せられてこの西洋人を大切に扱ったため、 移住者が増え、彼らが持ち込んだ伝染病により先住民は全滅した。
 開発が進んでのちには、製材所用の林道が縦横に走るまでになった。 1971年には多国籍企業がこの島に進出した。環境保護団体の激しい抵抗にもかかわらず、 この企業は5年間砂丘地を掘り起こした。金紅石、モナズ石、ジルコン、チタン鉄鉱など が多国籍企業により開発された。

 1972年に環境保護団体が島の北部1/3を保護の下にした。 1992年にユネスコが世界の自然遺産 (Convention concerning the Protection of the World Cultural and Natural Heritage) に指定した。

 こうしてようやくストップがかかったようだが、詳しくは不明だ。 日本の鳴き砂を守る会もグズグズしてはおれない。 調査団を派遣する計画に弾みがつくとよいのだが。

日本ナショナルトラストも鳴き砂にはナショナルの前に インターナショナル を付ける 必要がありそうである。

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