リンク:2001の状況


チャールズ・ダーウィンが発見した様子をビーグル号探検記から抜粋(三輪著『鳴き砂幻想』より)

 シナイ半島の鐘の山を、ゼーツェソやエーレソベルクが訪ねた少しあと、進化論で有名たダーウィソは、1831年から1836年にかけて、軍艦ビーグル号に乗りこみ、南アメリカ大陸、南太平洋、イソド洋の諸島をめぐり、各地の動植物や古生物の化石などを観察、採集した。この大旅行は、のちに生物進化論をまとめるきっかけになったが、その日記風の記録『ピーグル号航海記』(岩波文庫『ピーグル号航海記』(1960)に、不思議な砂の話が出ている。

 「ソセーゴを去って、初めの二目間は往路を再び通った。路は概して海岸からあまり遠くない。眼もくらむ暑い砂原を通るので、はなはだ疲れる仕事だった。馬が細かな珪酸質の砂に脚をふみこむごとに、虫の鳴くような、しずかな音がするのに気がついた」(1832年4月19目、リォデジャネィロにて)。この小さな現象にも注意して記録にとどめているのは、さすがダーウィソだが、その三年後、再び同じ現象に出会った。しかもそれはもっと大規模なものであった。

 「7月1目にはコピアポの谷に達した。新鮮なクローバーの香は、不毛の乾燥したデスポブラドの香のない空気の後では、全くうれしいものだった。町にとどまっている間に、私は数名の住人から、付近のある山にあるエル・ブラマドール(El Bramador)すなわち唸るもの、あるいは吠えるものと呼ばれるものの話を聞いた。私はその時、この話をよく注意していなかった。しかし私の承知した限りでは、その山は砂でおおわれており、人が登って砂に運動を与えた時だけ、音が出るのである。紅海に近いシナイ山で多くの旅人が聞いた音の原因については、ゼーツェンと工ーレソベルクとの権威において、同じ事情が詳しく記述されている(前章の参照文献3のことで、ダーウィソはそれを読んでいた)。私と話したある男は、自分でその音を聞いていて、非常に不思議なものとして述べた。彼が明言したところによると、彼には原因がよく解らなかったが、とにかく上り坂に砂を転落させることが必要だという。馬が乾いた粗い砂の上を歩げば、砂粒の摩擦のために、独特な鳴くような音を出す。これは私がブラジルの海岸で、いく度か気づいたことである」(1835年6月29日、北チリーにて)。

 しかし残念なことにダーウィソは、話を聞くにとどまり、現地を確認していない。これは私の勝手な推測だが、もし彼がこの驚くべき現象を体験していたら、その記録はもっと迫力に富むものにたっていたにちがいないし、それどころか、彼は白砂の歌に魅せられ、生物進化論などやめてしまったかも知れない。

 ところで、それから数十年後、この地を訪ねた人がいる。アメリカ・ケソタツキー州のM・H・グレイである。その報告から、もう少しくわしい情報が得られる。

 「コピアポの町の西方3-5キロ、私の記憶では鉄道から南へ約800メートルいったところに、凸凹の丘陵地帯があり、谷とよぶには余りにも小さい峡谷に砂が海の風によって吹き寄せられている。乾いた砂が堆積し、その斜面は辛うじて平衡を保っているが、ちょっと動かせば崩れる。この場所のことを、この地では(エル・プソト・デル・デイアボロ,El Punto der Diabolo)と呼び、迷信深い地元の人たちは、この場所に寄りつかない。風と気侯条件によっては、ひくい捻り声を発し、約400メートルはなれていても、この音を聞くことができる。もっとも、こういう条件にはめったに遭遇できない。これは是非訪ねてみる価値ありと考え、この地のイギリス領事、エドワードとともに、そこへいってみた。現地に着いてみると、砂は全く静かであったが、その砂の斜面を崩してみると唸りが生じ、その音は次第に大きくなった。砂がすべるにつれて音量は増した。響きが増したときには私たちは、ぐらついて、バラソスが保てなかった。私も彼も聞いたことであるが、この砂の振動で古い銀山が壊れたことがあるという。その振動が古い作業場の屋根を襲ったのはもっともだという印象であった。この砂の下の大地には穴があいているのかどうかについては知らない。私はこの現象の理論的説明を試みてみたが、満足な解はえられなかった」

 すごい振動である。こんなことがあり得るのだろうか。本章の終りのほうまで読んでいただくと、これをブーミソグ・サソド(唸る砂)と呼び、世界中でたくさん発見されており、けっして誇張ではないことがわかるはずだ。

戻る