リンク:増補(1994年)


あとがき

 「美しい浜辺、ことに鳴き砂の浜は、国土庁などではなく、文部省の管轄にするべきだと私は思う。

 この美しい浜辺は、悲しみに沈んだ心を癒し、疲れた魂を励ましてくれるにちがいない。どんなに科学が進歩しても、人間には人間の知恵では癒せない部分が残る。白砂を極限まで洗い浄めるこの浜辺は、人の心の垢も洗う貴重な役割を果たしてくれている」(本書、第5章)

 誰と誰とがその恩恵をうけ、どんな教育効果があったかを示すデータはない。日本のどこの浜が一流なのかも、浜は黙して語らない。だが、幼ないときこの浜辺から受けた感動が、その人を偉大な人物に育てるきっかけになった事例は、もしかすると、学校教育の場よりも多いかも知れない。この子が若者に成長したときにも、この美しい浜辺は傷ついた心をふるいたたせる力をもっていよう。「十八鳴浜は観光課ではなく、教育委員会の担当であるべきではないでしょうか」と提言した理由はここにある。

 しかし日本の各地で、浜辺は観光事業の対象としか考えられず、訪れる人も海水浴、サーフィン、釣などの場としか考えず、あとには空缶や、釣針やゴミを残してゆく。幼な子たちが美しい貝殻ではなく、ゴミ屑を拾い上げる。その驚くべき荒廃は日本人の心の荒廃に直結しているのだ。これではいくら学校教育を充実しても、豊かな実りは期待できない。

 科学イコール哲学であった時代は遠い昔話になり、科学は先端技術や経済に短絡している。科学教育も、科学者も、同じシステムに組み込まれ、いま流行のポピュラー科学雑誌類もまた、このシステムを盲目的に追っている。

 こから脱出するところから、未来の科学と人間復権への道が拓けるのではなかろうか。そのためにも、なるべく多くの方々に、ミュージカル・サンドという不思議な存在を知ってほしいと思った。知識としてではなく、その音を聞いてほしいし、自分で音を出し、その響きを体に感じてほしい。失われた音はなんとかして復活してほしい。そしてその砂を、その目で眺めてほしいのである。

 いままで私がお見せした方々は、十人が十人、「おーっ」と驚きの声をあげ、その魅力にとりつかれたものである。ことに私は、幼ない子供たちに、この砂を見せてあげたい。何人かのチビッ子たちに私はこの砂をプレゼントした。どの子も目を輝かせていた。後日、その感動を綴った作文を、小学校の先生からいただいたこともある。その新鮮な感動は、未来を拓く力になるにちがいない。

 駄足とは思うが、念のため付け加えておきたいことがある。「それなら私も子供をつれて鳴き砂の浜辺へいってみよう」という方も多いと思うが、私は気が重いのである。現地はいずこも荒廃しており、子供たちはきっとこうつぶやくだろう。
「なあんだ、うそっばちだ。ちっとも鳴かないや。こんな音、面白くないや」。

 「家へもち帰って洗ってみよう」という熱心な子もいるだろうが、多分成功しない。本書の第10章をお読みいただければわかるように、洗浄は並大抵ではなく、相当の設備と労力を要するからである。しかし、そういう熱心な子どもたちに、地層から発掘し復活させた太古の浜辺の、ミュージカル.サンドを実費でお頒けする方法を目下、考慮中である。日本列島に白砂の歌を復活させることは可能なのだろうか。それとも絶望的なのだろうか。それは日本の未来は生か死かと問うに等しい。なんとしても復活させねばならないのである。

1982年6月             同志社大学教授   三輪茂雄


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