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西表島トゥドゥマリ浜に伝わるタブー

 ーー 鳴き砂は神遊びの楽器と語る金星さん ーー

 石垣金星さんがお会いしたとき、私もそわそわしていて落ち着いて聞く時間がなくて後ろ髪を引かれる思いだった。ようやく2003年末になって、メールをいただいて金星さんが伝えたかった鳴き砂に係わる重要な話を伝えていただいたので、そのまま引用させていただく。

「 西表島では田植えが1〜2月に終えます。そして稲刈りは6月頃から始まります。伝承では稲刈りが終えるまで「女を舟にのせて「うなり崎」をまわってはならない」など厳しく戒められています。

 もしもそのタブーを犯した時には「にわかに嵐となり舟が転覆する」といわれます。しかし親戚兄妹に不幸等でどうしても他の島へ渡らねばならない時があります、その時には祖納、干立の女たちはクリ舟で浦内部落の「トゥドゥマリ浜」へ舟を着けて一旦「留まり/トゥドゥマリ」舟を下り歩いて上原までいき再び舟に乗ることにしました事から「トゥドゥマリ浜」といわれます。実に不思議な地形の浦内/トゥドゥマリ浜を抱きかかるようにして浜を護る「うなり崎御嶽の女神」さま/そして浦内川上流域の「カンビレー」は12年に一度干支の年には島中の神々が集い交際する聖地/そして河口の「トゥドゥマリ浜」は毎年八月十五夜の「月の真昼間」の晩は島中の神々が一同に集い「神遊び」する聖地です。
 このような神々の聖地が「鳴き砂」である事は決して偶然ではなく大切な「神遊びの楽器」としてきっと祖先たちは御存知でしたでしよう。このように浦内川はカンビレーからトゥドゥマリ浜、うなり崎に至るまで神々がいったり来たりする西表島の精神文化の中心地なのです。昔から浦内のトゥドゥマリ浜は「神々の聖地」として浦内部落の行事もこの浜ではしません。人々が唯一許されたのは八月十五夜の晩に神々と一緒にトゥドゥマリ浜での「神遊び」です。
  
 ところがこのような島の歴史と文化の伝承を踏みにじった開発計画が明治以来沢山ありましたが、しかしそれらの計画は全て「失敗」に終わりました。失敗の「秘密とは」実は島の歴史と文化の伝承を無視し踏みにじる計画で会ったからでした。例えば明治18年から戦後にかけて西表島では「炭坑開発」が盛んでした。
 西表の石炭王といわれた「野田小一郎」という人物がいますが、浦内部落を「炭坑基地」とすべくトゥドゥマリ浜へ石炭積出桟橋をつくりました。ところが一度も使わない内に嵐がきて破壊されてしまいました、残骸だけが今もトゥドゥマリ浜に残されています。そして彼の最期は悲惨でした。狂乱状態となり糞をまき散らし自分の糞を食
べて悲惨な最期であったといいます。
 それから1972年沖縄が日本へ復帰をした時の事です、「太陽の村」という一大リゾート「観光基地」計画がありました。真喜屋 優という人物です。彼は「うなり崎御嶽」を重機で破壊して自分の別荘を立てました。その時西表のお年寄りは「あれはカンヌトゥガ(天罰)が当たると予言しました、予言通り10年にして太陽の村は「倒産しました」。
 その後、日本を代表する「西武流通グループ/社長堤清二」が太陽の村を買い取り一大リゾート計画を発表しましたが、バブル崩壊で天下の西武は片づけもせずに夜逃げしました。太陽の村リゾートの残骸は今も「うなり崎」の神様を踏み付けにしたままです。
 この太陽の村リゾート時代こういう事故がありました。

1、観光に来た若い女性が夜の「うなり崎」から海へ落ち原因不明の死亡事故がありました、その時私も捜索に参加して良く覚えていますが1週間目に水死体で発見されました。
2、自殺志望で西表へ来た夫婦がいました、その時選んだ場所が「トゥドゥマリ浜」の松の木の枝で「首つり」自殺しました。その場所とは現在建築中のユニマットリゾートホテルのすぐ側です。

 こういう不思議な事の起きた事も知ってか信じないでか、今度は日本一の金持ちとなったユニマット不動産社長高橋洋二がリゾート計画を強引に勧めていますが、このような西表の歴史と文化を踏みにじった計画の失敗は明らかです。
琉球王国が薩摩により崩壊させられて明治12年以降の西表島は大和/アメリカの「食い物」とされてきました。「タンコウ/炭坑」の食い物、そして沖縄戦争で米軍による「カンポウ/艦砲」の食い物、そして今、大和資本による「カンコウ/観光」の食い物にされています。その違いは「タ」と「カ」の違いで「本質」は同じです。

 もはやこういう時代は終わりとしなければ未来は不幸です。来年は「申年/さるどし」です。ユニマット不動産と寄り添う疫病神は「カンヌトゥガ(天罰) 」により「去る年」になる事でしょう。
 今ならまだ間に合います!!。もしもユニマットがこの事に気がつかない時には必ずや神々により「カンヌトゥガ」が当たり悲惨なる最期となる事でしょう!!

※私の母親は浦内部落の生まれです、今生きていれば88歳ですが、、島へ帰り30年余、私にとっては自分の事であり、叔父叔母から毎日のように浦内部落に伝わる歴史と文化について「いいか金星よくよく聞いておけ!」と島の歴史と文化の大切さを教えられた事です。ですからこれらの事は私には祖先からの遺言であります。命かけて厄病神を追出さねばなりません」、                         

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