リンク:粉連想


「土は粉だ」というと誰でもはじめ「エッ」という。

1969年7月、アポロ宇宙船で月面に歩をすすめた飛行士の第一声は「パウダー(粉)だ」だった。月には水がないから粉が月面を覆っていた。そうだ地球の大地も水に濡れた粉なんだとあらためて再認識したものだ。地球は水に濡れた土に覆われている。水をなくすれば(乾燥すれば)粉になる。地球の大地も粉なのである。
 粉なる大地には粉ゆえに微生物の王国がある。そしてその上に土から生まれ土に帰る人類文明がある。
 都会では園芸用の土をデパートやスーパーで売っている時代になった。同志杜大学は京都御所の北に隣接していたが、そのキャンパスも年々舗装がすすんだ。樹木の根元に、わずかばかりの土が顔を出しているだけだ。秋に銀杏の葉や実が落ちても、その美を観賞する間もなくセッセと掃除されてしまう。クルマが踏みにじって醜くするからだ。ただ一箇所・草が生いしげり・落雫が堆積するにまかせている一角があった。以前私の研究室はそれに続く場所だった。かつて薩摩屋敷の桑畑だったところで、残っていた一本の桑の木が夏には実をつけて学生が食べるのを皆楽しみにしていた。重要文化財の建物に隣接し、生物学教室の実験用、動植物があるために舗装をまぬがれていた。ここには季節があり、春はタンポポ、夏は、じゅうやく"(どくだみ)、うらじろ、よもぎ、水引き草、秋には、すすきの穂がゆれ、彼岸花が顔を出し、漆の葉の紅葉が美しかった。昔の屋敷にはどこにもあった植物である。大学に隣接している冷泉家の庭も、ここと同じ状態になっていた。
 ここはひと昔まえの京都のありふれた景色だった。ここには、私の友達のミミズや蟻やダンゴムシなど、たくさんの昆虫が住み、縁の下には蟻地獄が住んでいた。ときには蛇もきた。野良猫がなぜか気にいって、住みつくこともあった。落葉は、しばらく虫たちの隠れ家になってから腐敗して、土にかえる。ここの土は鴨川の氾濫で堆積したから砂が多い。2メートルくらい下が室町時代、その上にも下にも京都の歴史が埋っていた。!NHK教育テレビで粉の文化史シリーズのとき採取した細かい土は、乾燥させてからほぐすと、フワフアの粉になった。こうして見て、はじめて私は土が粉なんだなと再認識した。その粉は、いまどきハイテクで花形の超微粒子に匹敵しそうな細かい粒子も含んでいた。母なる大地の土は、まさに粉そのもの、粉なる大地であり、粉ゆえに生命が宿っていたのだ。

 粉の粒子が作り出す粒子間の隙間がその多様な機能を創造しているのである。

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