現代版 切腹獄門

 金泥で修理 平成3年,NHKテレビ「トライアンドトライ」で石臼の話をしたとき、タイトルで茶挽き人形のそばにちょっと並べるだけに、私の秘蔵の茶磨が出演した。番組が終わったあと、スタジオが騒然となり、片付け作業がはじまった。私は茶磨が気になったが、「美術品専門の連中だから大丈夫です。」というので安心していた。ところが大学に宅配で帰った荷物をほどくとなんと、受け皿の部分が完全に割れていた。大学着では受け取りが不確定になりやすいので,必ず研究室着にとも念を押していた。

 即座にそのままにして、ファックスした。「茶磨をこわしたら中世なら切腹獄門ものだが」と。青くなったディレクターが飛んできて愕然。あきらかに包装不完全。普通の石臼とおなじ包装だったから、どこかでドスンと落としたに違いない。さすがNHK、直ちに修理店を調査。結局知りあいの大西市造さん。茶磨の補修は金泥で行なうものであることを指摘したのは、宇治氏の茶磨研究家大西市道氏だった。奈良県の仏隆寺に例があると。引き受けたのは、著名な石造美術(石灯籠など)の専門の京都・白川の名工、西村金造氏(毎日新聞社刊、『西村金造作品集』参照)だった。完全に修理された茶磨ができたとき、氏の仕事場にうかがった。  西村さんはひと月がかりで粉ごなに割れた破片をまるでジグソウパズルの様に組み合わせる作業をやった。「座敷に上げて毎日茶磨をみつめながらの作業でした。茶磨の声が聞こえるようになりました。」という西村さんの言葉には茶磨への愛情をこめた一途の作業を彷佛させるものがあった。全部っなぎあわせたが、西村さんは「さてどうして金泥仕上げにするか、誰に聞くのかもわからず、荘然としていたときです。某先生が石造物を見学に来られた。ふと茶磨で困っているとつぶやくと、先生がこの人はその方の専門家ですよ。」といわれた。この人とは天目茶碗の割れなどを修理する漆芸家の清元千鶴子氏だった。この漆芸家が心をこめて金漆で見事に仕上げて頂いた。この西村石材店の仕事場でと西村さんと同席して西村石材店の仕事場でお話を聞く機会があった。清元さん曰く「約1カ月毎日この茶磨を抱いて寝ました。石の温度が人肌の温度位でないと漆ののびがわるいのです。子供をひとりつくったような気持ちでした。」と涙の出るようなお話を聞いた時に、はじめて私も茶磨への愛情でこの修理が完成したことを知った。西村さんも清元さんも高名な方で、頼んでも容易に引き受けて頂ける方ではないことを後から人に聞いて、益々この金泥修理の臼の貴重さを実感した。茶磨の魅力にとりつかれて下さったおかげだった。「やはり茶磨には人をよぶ不思議な力があるのですね」と3人でしみじみ語りあった。NHKの失敗が思わぬ人の出会いをつくりだしたわけだ。すばらしい話だから宇治の大西市造氏主催の宇治茶臼の会で是非お二人で話して下さいとお願いしましたものだ。

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