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1999年5月28日(金)大阪ロータリークラブ第3788回例会で講演

大阪城の火薬庫について


人類文明10,000年史年表を手にもって

 お手元の細長い紙は「人類文明10,000年史年表」です。人の一生100年が1mm、1,000年は1cm、
1万年は10cmです。地球の歴史は46億年ですから、この年表で表すと46kmです。46kmだったら
歩けるでしょう。実際、阪神大震災の時 大阪から京都まで歩いて帰った人がいる。また、
一番右端が現代で,今日一日を見たければ,1ミクロン以下なら電子顕微鏡が必要です。
こんな年表をつくると,人生観,世界観が変わります。 

5千年前のアイスマン、火打ち石持つ この年表の中で,BC3,000年、今から5,000年前のところにアイスマンと書いてあります。 氷河から氷詰めのミイラが出て,このミイラが火打ち石を持っていました。  日本のマスコミはあまり扱いませんでしたが、西洋の新聞はにぎやかに取り上げました。 最初は警察が来て検視したんですが、銅の剣と火打ち石を持っており、考古学者の出番と なりました。5,000年前はまだ鉄はなく、鉄の鉱石で火をおこしたようです。  当時はエジプトのクフ王の時代でした。(火打ち石とカッターを取り出し、)実はこれで 火をおこせます。最近、こういうもので火をおこすのを皆、忘れています。  学生に、
「火をおこせ」
と言うと、ライターを持って来る。
「それはサルでもできる。石を拾ってこい」
と言うんです。この石とカッターで、この通り火花が出ます。この火花を受ければ、 火がおき、それを学生に見せると、
「オー」
と感心します。そこで、
お前 感動したな。その感動は人類が火を発見した時の感動だ
と言ってやります。
 さて、今日の話の「大阪城の火薬庫」ですが、火薬庫は焔硝蔵です。 「煙」と書くと煙が出るような気がし、「焔」ですと恐い感じになる。産地では「塩」、 「塩硝」と書きます。
 大阪城の年表を見て下さい。親鸞上人から始まり、一遍上人が登場します。 この人が 「火知り、火打ちの技を持っていた」 と言われる聖(ヒジリ)です。彼は火を 知っていたわけです。  時宗に「一つ火の行事」があります。今のお寺の坊さんは、ライターでタバコを 吸っていますから、この行事はもう風化していますが…。
 それはさておき,1496年に蓮如上人が石山本願寺を建立しました。大阪城の前身です。 蓮如上人の没後、1543年に鉄砲が種子島に伝来、1549年に本願寺の仲介で、鉄砲が将軍 足利義輝に献上されます。日本は伝来後、20年で世界一の鉄砲保有国になります。
古い家の縁の下に白い結晶、火薬原料に  現在の歴史の中には鉄砲の話しか残っていません。火薬の話が抜けています。 なぜか? 不都合だから隠したみたいですね。
 この絵を見てください。非常に面白い絵です。昔古い家の縁の下にもぐって、
ほこりをかぶった白い結晶を集め、これを炭火にくべて、パッパッと美しい花火を出す
悪童の遊びがありました。この白い結晶が、火薬原料として珍重されました。
 日本の家屋と、気象条件で、縁の下で硝化菌の分解生成物の硝酸アンモニウムが土に
浸透し、何十年の間に濃縮,結晶化する。それが炭酸カリウムと反応し、硝酸カリウムが
出来るわけです。古文書に出ています。

 ところで塩硝蔵にありたパウダーは何色か?。火薬だから黒いと思うが真っ白の粉末 です。硝酸カリ(KN03)は白い粉末で、それが75%、硫黄を10%、カーボンを15%と混ぜ合わ せると、黒色火薬で、黒くなります。この火薬のつくり方は本願寺が教えました。
 また、真っ先に火薬で鉄砲を打ったのは織田信長と言われていますが、それは間違いで、 上杉謙信です。川中島でドカンと打って、音だけでびっくりしてしまった、それが最初です。 火薬製法秘伝書が謙信に渡っています。  新潟方面を歩くとわかります。田んぼに榛の木がいっぱい並んでいます。榛は火薬の 炭をつくるのに最高によく、謙信が植え、今の越後平野に残っているわけです。 謙信は1570年に本願寺の仲介で、越中の五箇山に技術者を派遣し,その後すぐ、信長と 銃撃戦をやります。この時、信長は大変驚いたんです。このことは本願寺文書に出ています。 長篠の戦で信長が鉄砲を初めて使ったというのはとんでもない話です。  それからもっと大事なことですが、今お話した火薬の製法は西洋から教わってはいません。 資料の2枚目上の方に西洋の火薬製法が書いてあります。羊の小屋で、羊の糞をたくさん 積んでおいて作った。酸素を発見した、あの科学者のラヴォアジュが若い頃そこで働き、 火薬を作っていました。先ほどもお話しましたが、縁側から縁の下を覗いている、こんな 景色は日本だけです。湿っているでしょう? トイレからアンモニア塩が拡散すると書いて ある。結晶が出来て、それだけでは爆発しない。カーボンはどこから来るか? かまどから です。火薬が自然に出来る条件が日本にはあったわけです。
門徒宗が鉄砲で信長をねらう  富山県の五箇山付近は本願寺の勢力がものすごく強く、そこで火薬がつくり出された んです。資料2枚目の右上に面白い絵があります。鉄砲で門徒宗が信長をねらっています。 信長はビクッとしています。信長をやっつける、これは古文書ではなく私が作ったイラスト です。
 本日はとんでもないことを言ったようですが、全部事実を確認しています。本願寺文書を 見ましたので間違いありません。ありがとうございました。