リンク:東国の東芝はテレビ用セルロシンも6分画だった


揖保ソーメンの抵抗とテレビへの進出そして・・・・

 明治の文明開化で旧来の水車製粉はアメリカからの大製粉会社による小麦生産の独占に対抗して、石臼の大型化で対抗した。その大きな石臼が、兵庫県竜野市の揖保素麺産地や四国で見ることができる。直径二尺一寸、上臼の高さ二尺六寸(63cm)、重さ650キロあった。ひととき(昭和21年から昭和50年代まで)、この臼がベークライトの充填材用木粉(セルロシン)製造に活躍した。ナショナルテレビの基盤は揖保ソーメンの万成石、八分画の石臼なら、東芝テレビは栃木県鹿沼市が生産地だったから稲田石の六分画だった。日本の石臼の直径はこれら石臼の直径を越えることはなかった。四国には上臼の高さを二倍にしたものもあった。目の形は小麦製粉向になっていた。その後庭石になるなどの運命をたどった。

 これを見た人は重さからの錯覚で1メートルを越えたように感ずる。日本に直径1mを越えた石臼は,日本最古の観世音寺の石臼だけだ。

 

  竜野市の石原製粉

古い上臼を利用したもの。

 

 

新宮市には山本セルロシン株式会社があった。昭和49年12月12日訪問したときはまだ木粉を細々と製造していた。昭和42年まで水車が稼働していたという。

 

山本セルロシン株式会社

行灯ふるい(直径80cm,長さ3.6ン)

稼働中

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