秀吉と石臼(石磨)
太閤秀吉『落栗物語』(『百家随筆』活字版)に次の記述がある。「豊臣太閤高野山へ登られし時、挽割の粥を出せと有しかば、やがて参らす、太閤打ゑみて、此山は石磨なき所と聞しに、我わり粥を好むによりて、心ききて持登りしならんと大に喜び給ひけり、まことには磨なかりければ、人数多してまな板の上にきざみける也。後其事を聞給ひて、磨なくばなしといふてやみなん。我勢ひにて一粒つっ削らせて食わん事、心のままなれど、それは極なき過奢ぞとて,大いに怒られけると也」
秀吉のころはかなり普及していたと思われるので,さもあらん。