伝統文化の風化と本物
火うちの技
 人類文化の原点は火の発見である。ところが最近では火を起こすのはライターしか知らない人が多くなった。私が石を拾ってきて火うちを実演し、ティッシュペーパーに火をつけると皆一様に「オー」と驚く。このある種の感動は原始時代に火を発見したとき以来変わらない感動だと思う。
 大学研究室の裏山は蝮の出現が噂されていて危険地帯だが、この地はもともと古文書にもある有名な火うち石の産地である。。この石は石器時代以来人類文化を支えて来た石だ。石器ナイフの切れ味は髭剃りができることで理解できる。火の発見は5万年前という。そのころは鋼鉄はなかったが,黄鉄鉱で火がでた。古墳時代には鋼鉄の火うち金があったが,それは古墳から出土することからわかる。その形態は広く大陸で見る様式である。皇室では今でも儀式に火うちで灯火をつけている。あるとき私の火打の論文を見て担当官から電話があった。実は火口の製法がわからなくなっているので聞きたいと。聞いてみると石も火口も市販品を使っているという。
 火うち3点セットは火うち石,火うち金それに火口である。火口は一種の粉である。その製法を追ってゆくと石臼と火薬の発見にゆきつく。植物の葉(蓬)を粉にするのは石臼である。ここに私の専門,粉体工学と石臼との架け橋があった。蓬の粉は抹茶と同じく現代でも石臼で製造するしかない。植物質の繊維を破壊せず葉肉だけ選別粉砕するお灸の艾(もぐさ)である。その品質評価は粒度測定だが,現代の測定機器メーカーにはない技術が必要である。面倒なものは総て切り捨てて進む現代技術の盲点がここにもあった。切り捨てられた部分の正確な記録は未来技術の温床である。
 古代から貧乏人の火きり臼に対し火うちの技は武士など限られた階級の独占だった(現代では私の独占)。一遍上人は着火がうまかったので聖(ひじり火知り)と呼ばれたのもそれだ。上人が開山の時宗では火うちの儀式がある。藤沢市にある時宗総本山清浄光寺には本物だろうと期待して聞いて見たら,ここは俗化していて本物はないので,新潟県の十日町の来迎寺へ行けとの返事。ある年の年末に全国から僧侶が集まる一つ火の行事に列席した。真っ暗闇の本堂で一発着火して灯明を灯してゆく。着火に失敗すれば住職は門を追われる。ちなみにその火うち石と火口はどこのものですかときくと,本山からもらってくると。やはり市販品だった。 

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