石臼から広がる輪

榎本薬品社長(http://home.inet-osaka.or.jp/~enomoto/) 榎本時一

石臼豆腐は美味  地球は大きな石臼である」と言うと皆様はどのように思われるだろうか。地面や海底を下臼、大気層や海水層を上臼と想像してみよう。上臼が回ると、風、雨、波などのさまざまな自然現象が生じ、それらの相互作用が、山を崩し、岩を砕き砂を磨く。島根県・仁摩町の琴ヶ浜の砂は上臼である海水層によって磨かれ、洗浄されて「鳴き砂」に仕上げられた。 石臼は約一万年前から使用されていたらしい。今では殆んど目にすることはないが、石臼で挽いたそばなどは一味ちがい、栄養価がそこなわれにくいと言われている。宇治市で創業四百五十年の老舗茶店の社長は「碾茶は茶臼でひいてこそ、最高の抹茶に仕上がる。」と主張される。石臼に関心をもつ人々も現われ、評価されるようになってきつつあるように思う。かくいう私は、5年前に大豆を石臼で挽いた豆腐を食した際のあの旨さ、すっかり石臼にひかれた。  その豆腐は中国の准南で後漢時代に始まったとされている。水に浸漬した大豆を石臼で挽いてつぶすのが最初の工程、現在の大量生産の豆腐は石臼の代わりに高速回転のグラインダーだ。石臼豆腐は大豆の風味がそのまま残り確かに美味しい。しかし、石臼を手で回すのは重労働なので、「鳴き砂博士一とか「石臼博士」と異名のある恩師・三輪茂雄先生(「ウェンディ」105号私の体験掲載)のご指導で、友人達と電動式総ステンレス製石臼豆腐製造機械を設計、製作した。?万円かかった費用は私が工面。妻や友人には物好きが過ぎると笑われる始末である。 大石臼の謎解きから   それから私達は石臼豆腐作りを楽しみながら、飛鳥時代、紀元610年、高句麗王の寄進によって、太宰府観世音寺にもたらされた「天平の碾磑」と呼ばれている大石臼の謎について考えることになった。この時代は仏教文化の黎明期で、大寺院、仏像の建立、宮殿の建設などが次々と行われた。そのために朱や水銀の需要が高まり、それらの原鉱をこの大石臼で砕いたという定説は説得力がある。しかしそうではなくて豆腐製造用の可能性を考えてみた。水に浸漬して三倍ほどの大きさに膨張した大量の大豆を水を注ぎながら湿式粉砕すれば、太くて深い臼の溝に丁度良いのである。おまけに寺に豆腐は付き物。とすると日本への豆腐伝来は紀元610年と考えられる。通説ではそれより百年あまり後の奈良時代だ。そこで、豆腐伝来の謎,観世音寺の碾磑の謎を解くためにまず、韓国の石臼研究者と交流を深めようと思いたった。昨年7月、三輪先生を団長に、私を含む4名がソウルヘ飛び立ち、弄瑞石(ユン・ソソツ)家政大学名誉教授、ほか9名の女性大学教授とソウル市内に残る石臼を調査した。ソウルでは石臼はすでに骨とう化していた。そのことに危機感を抱いた我々は日韓、最初の石臼討論会を開催することにした。15名の参加者であったが、はるか古代、シルクロードを通って日本に伝来した石臼を通じてのロマンあふれる意義深いものとなったことは喜ばしい。その後、11月の中国・准南への豆腐起源調査、12月、大分県・湯布院での「日韓石臼シンポジウム」と我々の活動は続いた。さらに近い将来、シルクロードの終点で、しかも臼と関係の深い奈良、東大寺転害門(碾磑が転じて「転害」となった)を見ながら日本・韓国・中国の三ヶ国で石臼シンポジウムを開く予定である。  

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