日本の石臼の目のパターン分布地図

石ウス文化圏
 いまから十数年まえ、石ウスを追チて日本中をあるきまわチた。日本の生活様式がいわゆる高度成長で大きく変貌しつつあチた頃である。まだ田舎ではA石ウスが庭先に放り出されたばかりだチた。臼についての記憶をもチたひとたちも多かチた。それを「石臼の謎」という著書にまとめたが、いまでは、その本に掲載した写真の人物はほとんど亡き人になチた。そうして日本列島全体にわたチて調査してわかチたことは、まず第一に8分画圏と6分画圏の存在であチた。近畿圏の8分画、関東および九州の6分画は、じつに明瞭な分布を示した。くわしくは、複雑に入り組んでいるが、基本となる8と6の交流のあとであチて、それぞれ理由があチた。このほかにも、形態や挽き手のつけかたなどに特徴があチて、地方性が明瞭である。石臼のお嫁入りといチて、たとえば四国高知のウスが江戸にあチたり、信州の臼が織り姫について野麦峠を越えて江州に来ていたりするのも必ず理由があり、確認できた。また石工の移動はその他の石造物と関連している。ことに信濃・高遠石工の移動は興味深かチた。石臼の研究は日本の地方文化のながれを追うことでもあチた。方言、風習、植物、その他各種の地方性研究結果と実によく一致した。その後の流通革命の進行でで石臼の移動もたやすくなり、庭師などが大量に四国など地方の石臼を買あつめたので最近ではたとえば四国の臼が関東に並んでいるのも不思議ではなくなった。「あんたは名神高速の料金ところで張っていればいくらでも臼に会えるよ」と教えてくれた運送業者もいた。四国で3箇所膨大に石臼を集めたが、売れなくなって「あんたなんとかならんか」と相談もあった。「臼を集めるのはゴクツブシを集めるようなもので、貧乏しますよ」と昔の言い伝えを話したこともあった。
 石臼の材料は、花こう岩、砂岩、溶結凝灰岩、安山岩などである。しかし、そのような岩石名は、岩石の成因を考えるにはよいが、石の道具を考えるには適当ではない。それはたとえば、人の個性を問題にしたいのに、この動物は、人類か、それとも猿かと論じているようなものである。地方によって、同じ花こう岩でも、性質が違う。同じ山でも採掘場所によって、大きく変る。地方名のついた石材名、たとえば京都の白川石、滋賀県の曲谷石、三重県の石榑石(いしぐれいし)など無数のバリエーションがある。石臼がつくり出した食文化については別にのべる。

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