リンク: 希代の名工・太良兵衛は信州の高藤出身だったことの徹底的追跡をやった話

京都・銀閣寺の銀沙灘

 名水
 京都.銀閣寺の庭園は、南に山が迫り、建物の色も澁いが、そのうっとうしさを、白砂の銀沙灘が吹きとぱしている。圧倒的大量の白砂を盛りあげた異様な人工的造形物を、自然の山水に対置して、不思議な調和を創り出している美学。研究や仕事のマンネリズムに自己嫌悪を感じたときは、ここを訪ねるのがいい。

 ところでこの白砂は比叡山麓に産する白川砂。母岩は白川石の名で知られる良質の花崗岩。これが風化してぼろぼろになったもの。採掘したてのときは粘土が混って茶褐色だが庭にひちげておくと、雨に洗われて表層の砂粒が真っ白になる。この白さが苔の緑とよく調和し、渓流の砂地の風情を演出する。
花崗岩は俗称「御影石(みかげいし)」。地殻の深部でマグマが冷却、結晶化したもので、石の面を観察すると、白い長石、透明な石英、黒または白の雲母がぎっしりつまった感じである。産地により結晶の大きさや雲母の散らばり方がちがい、長石が赤味を帯びたりして特色がある。安山岩や溶結凝灰岩と並んで、日本列島の骨格を形成している岩石であり、また、石臼、燈籠、鳥居、墓石、石段、石造建築物などに、もっともひろく使用される代表的石材でもある。年号を刻んだ紀念碑や墓石は石の風化を研究するのに貴重な資料だ。

 ,花崗岩は硬い石で、水も殆どしみ込まないから、一見、風化しそうにないが、何百年という長い年月をへると表面がぼろぼろになってぐる。雨水の作用で化学的風化を受けるわけだ。マグマの冷却時、および地殻変動の巨大な圧力が原因で、岩石には節理(節理)とよばれる潜在的な破面があり、岩石はこの方向に亀裂が入りいしくやすい。石工たちはこれを「石の目」という。石の表面をぬらし、亀裂に入りこんだ水は、ナトリウム、カリウム、マグネシウム、鉄などのミネラルを少しずつ溶かしてゆき、化学的風化が進む。

 長石はカオリナイト(粘土)に変り、雲母も粘土鉱物になって、石英だけが'最後に残る。表面と亀裂に沿って風化が進むので、ところどころに未変質の岩塊(核岩),を残していることがある。洪水などで粘土分が急激に洗い去られると、奇岩、奇石を残した景勝地ができる。適度な透水性をもつ風化花崗岩層ができると、巨大な天然の濾過装置による、きわめて緩慢な水濾過が行われるようになり、そこを透過した水は各種のミネラルを含むうまい水になる。茶の湯や酒造の名水がそれだ。白川から清水寺・音羽の滝にかけての京心名水や、なだ六甲山系の灘の水などはその例だ。人間の能力では作ることのできない(これらの見事な濾過装置も、開発という名の無智な暴力によって日に日に破壊され、上流には都市廃棄物がトラックで運びこまれている。現代人のやることは、とても正気の沙汰ではない。名水をつくる不思議な砂(砕いた石)が薬局などで売り出されている。ガラスビンに水道水をこの砂とともに入れ、冷蔵庫に入れておくと、一昼夜もすれば「うまい水」になる。
 余りにも不思議だから、有名メーカーの責任者に面会して訊ねてみた。「このカタログの表.紙には渓流のカラー写真が出ていますが、これはこの砂を産出する現地の様子ですか」「そうです」「是非現地を訪ねてみたいのですが」「どうぞ、いつでもご案内しますよ」「じゃ明日行きますから」。翌日上野のホームで待合せていたところ「急用ができてご案内できなくなりました」と予想通りの連絡が来た。とにかぐ教えられた新潟県の草深い某温泉近くの現地にゆき終日一帯を調査したが、とても渓流とはいえない川ぱかり。歩き疲れて近くの宿に入った。夕食時、女中さんに、不思議な石の.件を話してみた。しばちくして「宿の主人が何か心当りがあるようで、案内するそうです」とのこと。現地には石置場があり「ときどき東京からトラッグが来て運んでゆきますが、もう5年も地所代を払っていません」と.いう。私はどうも、見てはいけないものを見たようだ。一昼夜で健康に効能があるほどミネラルが溶出するとしたら、比叡山も六甲山も、とっくに溶けてなくなってる筈。信ずるものは幸いなり。騙される人は……。

 アサヒグラフでは場所を書かなかったが、それは新潟県の六日市であった。たまたま私はその採石現場が石臼の歴史に大きな影響を与える石屋がいたため私が注目していた。

アサヒグラフ,1979年10月5日号 

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