学友k君とI君より詳細なコメント
学友でなければ言えないズバリ厳しいコメントであった。持つべきはこんな友人と感激。大いに反省しつつここに出すことにしました。これを添えればまさに他叙伝になりそう。
2000.2010. Kより
前略、本日雑然と積み重ねてあった机の上の文書を整理していて、未投函のままの貴方への手紙を発見しました。2月3日に投函する予定で書いたものですが、丁度その日に隣のご主人が急性心不全で亡くなられ・近所や町内会の役員の方々への連絡などに追われて、投函を忘れてしまったようです。遅ればせながら本日発送させていただきました。悪しからずご了承下さい。
投函前に読み返して見ましたが、どうも余分なことまで書いた反面、必要なことを書き忘れたような気がしました。しかしここに書いたことも私の考えには違いなく、そのまま投函することに致しました。一つだけ気がついたことは、私と貴方との感覚の差は、私には生きる希望を失ってしまうような、挫折の体験があったからではないかと思いました。考えたり評論するだけでなく、渦の中に飛び込み行動して、自らが深く傷ついた結果体験したものです。技術開発やマネージメントの中でも・数々の困難がありましたが、若い時のこの体験と比較すれば物の数ではありませんでした。私の考え方には、常にこうした体験から来る心情が反映されており、簡単には消え去らない感覚です。人夫々に人生があり異なった体験をしています、それは変えようのないことです。そうした人達が、少しでも共通した幸せと、目標のために努力して行くことが大切だと感じています。
再投函に際し感じたことを付け加えました。ご健闘を祈っています。
三輪茂雄様 2000.2.2
拝復.お葉書拝見いたしました。ご希望された私のコメント、他叙伝に対してなのか、ホームページ全体に対してなのか不明確だった為、一応ホームページ全体に目を通してみました。興味深いものもあり、そうでないものもあり、十分に理解し得たとは言えませんが、貴方が石臼に執着される理由は良くわかりました。全体に目を通した後、ご希望のコメントは主として他叙伝に対してであり、それを理解するための参考資料として、その他の記事を読めばよいと判断し、この手紙を書くことにしました。
感想を述べる前に、私と粉体との関係を略記します。最初は工専時代に松井先生から与えられた、卒業論文のテーマが粉体の力学で、砂の動力学について研究せよとのことで、今井亘君と共同で私の自宅で実験したのが始まりでした。粒体が滑ったり転がったりする現象が、外力の大きさと方向で変化することを、運動力学から導き出した私流の理論で考察し、報告書に纏めた経験があります。これが自然現象を自分の考えで、動力学的に解析しようとした最初でした。技術者になってから、部品に鋳物を使うことが多くなりましたが、鋳物はぱらっきが大きく、どの程度余裕を見て設計するかが悩みの種でした。素材の材質だけでなく、鋳物に使われる鋳型の形状、通気度や表面粗さが、出来上がった鋳物の特性に大きく影響することから、良質鋳物を得るための常識として、粉体について少し勉強した程度でした。
ロストワックス部品を製造する子会杜に移ってから、品質とコストの両面から、各種の耐火サンドや、ジルコンフラワー、接合材としてのヨロイダルシリカ等が重要となり、各種の資料や文献を読みあさったのですが、意外に文献が少ないのにがっかりした記憶があります。(時間的余裕がなく、十分に探せなかったこともありますが)1500℃-1680℃で鋳造するロストワクスでは、耐火性からジルコンサンドが不可欠で、ジルコンの含有比率や不純物の種類と量が、鋳造品品質に大きく影響します。製品の材質別に、どのようなサンドを選択し、どのような条件で焼成するかなど、社内の技術者と熱心に論議していました。
論理的推測は重要ですが、結果として良い製品が安く出来なければ意味がなく、何時も結果を確認しながら、次のスッテプに進んだものでした。企業としては当然のことですが、最終的にお客様(それを利用する人に)に最も役立つ物を、安く作ることが目標でした。理念的な善悪だけで判断できることは少なく、製品品質、コスト、公害の有無、作業者の快適性、その他を総合的に判断して、改良を重ねながら生産の基準を作っていったことを思い出します。それでも仕事の必要から、研究とは程遠い実学的知識だけは多少身に着けることが出来ましたので、貴兄のホームページの内容を、多少理解する助けにはなりました。
固体であって固体でない粉体が、地球上にあまねく存在しており、それに興味を抱き、独自の究明を進めてきた貴兄の気持ちが理解できるような気がします。'学術的評価については意見を言う資格はありませんので、人間的な生き方や、考え方についてだけ感想を述べさせていた:だきます。
さて、「他叙伝」を読んだ第一の感想は、貴方は「本当に生真面目な学究の道を、ひたすらに、情熱的に歩んできた人だな」ということです。しかもその道は「人から与えられたものではなく、訪れた夫々のチャンスに、自ら考え、自ら直感できるものを大切にし、自ら方向を求めた」結果見出されたものだったと思いました。目標を見つけた後は、「学究的探索と本質の究明に興味を抱き、夢中になり、最後まで粘り強く追求して来られた」ことに感,心しました。そして、「自分が定めた道を、思うがままに生きようとしてきた学者だった」と思いました。 ある意味では羨ましいような人生であり、満ち足りた日々であったように思えますが、それなりに孤独で、苦しみも大きかったのではなかったかと推察しています。更に、今宵その情熱は衰えず、新たな挑戦を続けておられることに心からの賛辞を贈ります。 貴方の考え方の特徴は、一貫した理念と論理に従っていることです。それに自信を持ち、その立場からだけ考え、行動されているようにも思いました。それだからこそ、常に結論が明確で、反対を許さない厳しさがあるように感じました。権力や人の思惑にへつらうことなく、自らが信ずるままに生きて行く為には、それを認めさせるだけの実力が不可欠です。そのためによく努力もされたし、それを可能にした能力もあった人だと思いました。
私の場合幾つかの挫折を経験した後、自分だけが正しいとだけ考えることの危険性を、数多く体験しました。自分と異なる意見を持つ人の中にも、それなりの真理があるかもしれないと、先ずその意見を聞いて理解し、その上で自分の考えを再構築するようにしてきました。これは単なる妥協ではなく、より間違いの少ない真実を求める手段でした。こうして考えた結論は、妥協せずに主張しながら、相手が再検討したり体験出来るまで待つ、辛抱強さも身に付けてきました。事実で証明され、間違いと気がづいたときには、素直に改めることを心掛けてきました。
こうした私の感覚から見て、ただ一つ惜しいと思ったのは、傲慢とも受け取られる発言が、所々に見られたことです。これは大学の先生という立場、この道の権威者という社会的評価の中で、知らぬ間に身についた習性かも知れません。無意識で語られたことでしょうが、後輩の発言を、頭から押さえつけてしまうところなど、私には同感できかねることでした。ある程度の地位や権威ができてくると、相手が遠慮して本当のことが言えなくなるのは、よくある事です。これでは素直な事実を見誤ることになり、正しい判断ができなくなると思います。
貴方の場合、事実や人々から学ぶことよりも、自らの理念と論理で、物事を見ようとじ過ぎているように感じました。 私は党活動をしているとき、無私の気持ちで努力すればするほど、知らぬ間に独善に陥っている自分に気付き、常に反省させられました。党から処分されたときは、正に絶望的な挫折を味わいました。命を賭けた重労働を体験し、必死に生きようとする人たちと接して、初めて、理念と正義感だけの行動が、普通の人達には通じない、甘いものであることを悟りました。M子との同棲生活が破れ、自殺未遂までした時、人間は限界を超えたとき、破綻することもあることを知りました。私のように、何回かの挫折を味わった者から見ると、貴方はまだまだ恵まれた環境の中で生きてこられたようにも思えます。それはそれで良いし、その中で作り上げられた、貴方の人間性は、いわゆる俗人とは違った立派なものだと思います。これからも今までどおり活躍されることを期待しています。
自然を大切にする石臼豆腐の運動は、自然の素晴らしさを素直に受け入れ、より人間らしく生きることの大切さを学ぶ上では、意義のあることと思います。資本の論理で、効率だけを追求した商品を、人々に押し付けることへの批判は正しいと思います。同時に現代社会では、自然を愛するだけでは生きて行けない、厳しい現実もあります。非効率だが高価な自然の美味を味わうか、効率的で安価だが自然の美味が失われたもので我慢するかの判断は、夫々が置かれた環境条件で異なると思われます。私が会津にいた頃、輸入大豆でなく国産の緑色の大豆を使った豆腐を、試食してくれと貰ったことがありました。確かにおいしいのですが、そのために2倍の価格のものを遠くまで買いに行く気にはなれませんでした。そんな賛沢はしなくてもよいと思ったものです。既に人類は地球の自然が耐えられないほどの消費を行っています。
それが良いわけではありませんが、これが人間が努力してきた結果だと思います。その中で少しでも自然に、自然と調和しながら生きて行くことは大切なこととは思いますが、それで自然や人間を、破滅から救うことが出来ると考えるのは、甘い幻想に過ぎないと私には思われます。それでも自然な生き方を求めて、人間が努力することは尊いことで、無意識に私利私欲のために自然を破壊することを、幾分でも遅らせる効果はあると思います。また、人間らしい生き方を学ぶいいチャンスだとも思います。結果よりその過程が大切なのではないでしようか。 話は変わりますが、I君が「三輪君に『彼らは改心した』と書かれたが、誤解も甚だしい」と語っており私も同感でした。権力に屈し、節を捨てて改心したつもりは全くなく、より正しい人間としての生き方を探し求めただけです。権力におもねったり、自分の地位や金儲けのために、人を利用したり策を労したことはなかったつもりです。いかに人々の役に立ち、誠実に人間らしく生きるかを、全力で追求してきた結果が私の人生になっただけです。まだまだ足りないところばかりで、死ぬまで反省を重ねることでしょうが。お互に夫々の心を、もっと深く理解することが大切ではないでしょうか。
コメントではありませんが、神保先生とも関わって来られたようですが、他に同姓の方がおられなければ、先生にはJUKIの技術顧問としてお世話になったことがあります。最初は統計的手法を教えていただき、その後振動工学その他で私の部下たちが教わっていました。また私の何代か前の研究所長が、博士論文を書くときにもご指導下さった先生です。(このとき私は研究所長をしており、経過をかなり聞かされていましたが、先生の権威で博士論文を通していただいたような感じてした)所員の評価では、論理的な解析では素晴らしく頭の良い先生で勉強になるが、実際の問題解決には役立たなかったということが多いようでした。
日本でも学問と実際の問題解決を結びっけるには、企業、大学の双方とも、更に努力する必要があるように思います。
以上気がっいたことと私の考え方を率直に書き並べましたが、私の誤解もあるかも知れません。気付かれた点があればご指摘頂ければ幸いです。 今年は例年になく雪が多く、京都も寒い日が続いていることでしょうが、一層ご自愛の上何時までもご健闘下さい。
敬具
「気に入らないやつ」I君からの返信
2 / 08 / 2001
他叙伝(自叙伝ならざる)を読んで大変懐かしくまた感銘を受けました。きわめて率直な話法で、生い立ちから青春時代を経て、研究者とし ての生活と「しごと」について語っていて、君の面目躍如たるものがあります。 粉体工学については全く門外漢の私だが、未踏の領域に踏み込んでいく探究心とバイタリテイは十分に感じとることができます。さらにまた 大きな視野で科学と技術をとらえようとする最近の業績には魅力を感じさせられます。それは君が若い頃から科学技術を人間・社会との関係 でみてきたこと、そして[技術論」「技術史」 から[資本論」にまで掘り下げて研究された努力の蓄積とも言えるでしょう。50年来の友人としてまことに嬉しく、心から敬意を表するもの です。
ところでこの文中に、私に関する記述が第三の転機に関わる「気に入らないやつ」として、実名を挙げて書かれています。そしてそれに続 いて君自身のコメントが加えられていますが、当事者である私から見れば、多分君の思い違いではなかろうかという部分があります。以下に 三つほど上げておきたいと思います。
第一は、「彼等は自治会を立ち上げるのにーーーー具合が悪いって。」というところです。それはやや一面的な受け取りで、自主性の強か った君が、引っ張られて動く筈がないと思うのです。 当時岐阜工専には、「不正入学事件」があり、それに反対する学園民主化運動が起きていて、 入学早々の私たちも否応なしにそれに直面しました。それが一応収束したあと、学生自治会を作ろうという動きになったわけです(当時はク ラブを主体にした校友会があっただけで、学生の自治組織はなかった)。学校側からは干渉と弾圧がありましたが、教官たちの理解を得て、 結成することができたという経過です。その動きの中心になったのは、k君をはじめとする機械科の学生で、比較的低調だった化学科に呼び かけ、君がその趣旨に賛同してくれたのです。そして最初の仕事として自治会主催の学園記念祭を行い、素粒子論の坂田昌一さんを講師とし て招いたことを記憶しています。丁度その頃、全国大学高専学生自治会代表者会議が開催され(東京大学の山上御殿)、君と私の二人が参加 しました。その後全学連ができ、岐阜県学連をつ くるという運びになります。
第二に、学内での君と私との関係は、学生自治会もさることながら技術学徒としての討論が大きな比重を占めていたように憶えています。 学内で「技術論学習会」を開き、武谷三男氏の「技術論」(雑誌「新生」)をテキストに話し合ったことを思い出しませんか?{ついでに君 が別のところで技術の定義(「生産的実践における客観的法則性の意識的適用」を星野芳郎氏が出したと書いているが、あれは武谷さんのも のであることを付言しておきたい) それらの活動を通じて、民主主義科学者協会との関係ができ、若手の教官の援助を受けて岐阜支部を結成したのです。そこへは当然、君も参 加していますし、そのとき岐阜支部会員の第一号になっていただいたのが、当時工専の助教授で後に岐阜大工学部長になられたM先生です。
第三に、「40年後に会ったら------流れが違う方向にいっちゃう」という部分です。君とは昭和電工時代に文通、同志社へ行かれたあとは 京都の大学研究室で再会し、数年前に岐阜大学50周年記念誌のための座談会で会っています。私自身は技術者ではなく別の道を進みました が、「すっかり改心しちゃって」という君の表現にはいささか戸惑いを隠しえません。君とは政治信条やイデオロギーについて、再会以後論 じ合ったことはなく、どのような感触から前述の発言がでたものか疑問に感じています。また 余計なことかもしれませんが、もう一人の男(おそらく前述のK君のことだと思う)は、有名会社の社長ではなく、某一流メーカーの技術研 究所長をつとめています(数年前に退職)。
以上、他叙伝の読後感を述べましたが、同文の本題から離れた部分のことで、本来私信で書くべきことかもしれません。この掲示板にアク セスする大部分の方にとっては無関係のことです。しかし、この青春時代をめぐるいくつかのことは、君の技術研究者としての出発点に多少 の関わりがあると思うので一言した次第です。また、専門誌とはいえ「粉体と工業」に掲載され、インターネット上に公開されていることも あり、あえて掲示板上を利用させてもらいました。 君からの返信ないし反論を待っています。 2001年2月8日
私からの返信
さすが石井君、これにまともに対応してくれる数少ない友人の一人、もつべきはよき友人とつくずく思いました。他叙伝の題名が示す通 り、他人のフィルターを通っているので、多少の文脈は気にしないで下さい。確かに実名はよくないのでネットでは削除しておきました し、不適切な表現は変えておきました。 K君からも長い長い返事をもらいました。これもまじめな反論なので、彼の許可を得てよければ他叙伝のリンクにのせました。ほんとにまじめに読んでもらったのは君とk君と、それに私の直上の上司でした。 昨年の大垣シンポはまたとない私にとっての記念式だったと今回顧しています。
私にとっては大学の退職時の最終講義と研究室卒業生の 総会に次ぐ生涯をかけた2度とない大イベントでした。それに貴君とK君が多忙を押して出席してくださったことに感謝感謝で、とくに反 論することもありません。 なお星野芳郎先生の技術論の表現は、もともと武谷三男先生のものですが、星野先生がその著で微妙な差ですが多少修正しておられるの でそれからとったものです。 私の勝手なHPにあるアクセントを与える記事を加えてもらってうれしいです。 どうかこんごともよろしく。