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荘川村現地訪問

 2003年2月10日岐阜羽島駅で木田豆腐店の木田哲也さんと加藤隆三さんと合流。岐阜市を経て東海北陸自動車道をひたすら北上するがほとんど山また山で村落はほとんどないままで、荘川インターチェンジにつく。そこで左折すれば荘川村。まもなく荘川温泉桜香の湯、高温自噴が自慢で、給水も加熱もしていない源泉。平成14年4月15日、リニューアルオープンという。役場に直行し町長室へ。そこで連絡していた三島則和農林課長の案内で益戸美次村長に面会。てきぱき話は進む。私が10数前に島根で仁摩サンドミュージアム建設に携わったことを話すと「今は21世紀だ。そういうのは20世紀の遺物ですね」と手厳しい。私たちは民家を移設しました。ただでくれたが、移築には新築するより3倍もかかった。でもできるだけ原形復元に努めた。私がシンポジウムの趣旨を説明しローテクはハイテクのルーツだという例をあげて説明するつもりだというと意気投合。そこですかさず「私が大学に保管してきた石臼の資料が実物2トンほどと、利賀村で使ったパネルおよび友禅糊製造用石臼などがあるが、いま大垣と網野および自宅に分散保管していますが、ここで利用していただけませんか」というと「ok」。この即断に感激した。

 あと三島農林課長の案内で今建設中の施設を案内していただいた。空に聳える直径14mの巨大水車と巨大石臼。

直径2mの巨大石臼

 これはみものである。またその裏に回ると足踏みの搗き臼(バッタリ、踏み臼)まである。これで玄米を長い時間かけて搗いたご飯の味を知る人は現在では少ない。私は戦後の米不足の時、米搗屋に出すとばれるので、内緒の玄米を搗くために、親父と一緒にこのバッタリを作って、搗き作業をした経験がある。やっぱり石臼ではなく臼類学会と呼んでいてよかったと思った。それだけでなく日本臼類文化学会と変える必要もあるようだ。シンポジウムでは荘川の「ばんだの桜」の下でそれを宣言する腹を決めた。

 役場を辞してこだわりのそば屋「蕎麦正」さんで昼食。ご主人の名刺には日本一そばの里づくり実行委員会、飛騨荘川そばの会会長の肩書きがあり、HPもありhttp://www4.ocn.ne.jp/~misima/を見ると活力一杯の仲間達の元気な顔顔顔が並ぶ。この町の活力は並ではない。この人たちを今回のシンポに招く予定だ。

 ところで蕎麦正さんご自慢の蕎麦が出てきた。「うまい、ほんとにうまい」久しぶりに本物のそばに出会った思い。久しぶりとはいつだったか葉山御用邸の如雪庵 一色で味わって以来か。

 帰路途中で温泉桜香湯http://www.vill.shokawa.gifu.jp/でサッパりして帰途につく。

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