粉体工学の源流

 下記は大学院の粉体工学特論の冒頭で板書したわたしの粉体工学の源流図である。

 

 日本の粉体工学のはしりは東工大の大山先生だった。寺田寅彦先生が初めて粉体研究の重要さを指摘し、それを大山義年先生へ伝えた。当時大山先生は台湾の台北大学に居られ、そこで製糖で粉を扱っておられた。そのご東工大で研究を続けておられた。化学工学の基礎テキストだった内田俊一,亀井三郎,八田四郎次著の『化学工学』には亀井粉砕理論があった。大山義年著『化学工学』(岩波全書)が出たのは1963年だった。ちなみに『化学工学氈xの著者は東工大の藤田重文先生だった。

 東工大の大山先生と東大の神保先生の先生である森芳郎先生のほかに、もう一つの源流は東大鉱山学科の井上先生の前の今泉常正先生のそのまた先生の山口吉郎先生だ。今泉先生と森芳郎先生と井伊谷先生は東大の同期と聞いているが、お互いになぜか話されたことはなさそうだ。この山口先生を訪ねて東大鉱山学科に行ったとき出てきたのが今泉先生で、「山口先生は今や俳人青邨(せいそん)として有名で,そういえば近いうちにあなたのいる塩尻で俳句の青邨句碑開幕式に行かれるからそこを訪ねなさい」と。行ってみると俳人にかこまれて近づきがたい状態だった。

 その後山口先生とはJIS 標準ふるいの委員会で会った。先生はそのとき「メッシュという言葉はあいまいだから使うな」という持論を述べると「あとは君にまかせるからやりなさい」といってサッサと退席された。アレヨアレヨだった。この時の委員長委任は最近の官房長官と前総理に酷似している。そのご今泉先生とはしばしばコンタクトすることになって、「フルイは山口先生の1927年発表の論文しかない。鉱山の図書室に案内するからそこで文献を調べなさい。minning 関連の文献が揃っている」と。 そこで図書室のなかに机をもらって何日かかけて文献リストをつくり、必要なものを入手した。  これが縁で鉱山関連の粉砕と繋がった。フルイは粉砕の前後に必ずある。だからフルイだけ研究してもムダだ。一方会社では単位 操作別に担当が違い、別の人が担当だった。そこで次第に彼らの分野を侵食してテリトリーに入れて行くのに時間を要した。彼らの転勤を待ってそのとき奪取する。そうしてジョウクラッシャからはじまって、ハンマークラシャ、ロールクラッシャなどなと、ついに振動ミル、ジェットミルと手をのばし、どの機械も私がメーカー会社へ出かけて担当者とタッチした。こちらはユーザーだから強い。遂に神戸製鋼が振動ミルの技術導入に立ちあい、日本の1-3号機を塩尻工場で次々に購入することになった。  このとき本社の技術担当からクレームがつき、予算の交渉にいった課長が「塩尻で新機種の展示会をやる気かと怒られた。おまえすぐ本社へ出てこい」と緊急電話。出かけて見ると、出て来た担当重役はなんと前の塩尻工場長、私に学位 論文を書けと命じた方だった。ニコニコとした顔で「ガンバレ」とだけ。あとで課長がいうことに「あの重役はホンネは君に会いたかったんだよ」と。  私の振動ミルの評価は粉砕機としては過剰な振動でムダ。しかし粒子形状で優れていることだった。さらにこのミルの粉砕処理能力推定にBondの粉砕能試験を利用していた。この話は鉱山学会で有名になり、その後 日本工業規格JIZ M 4002粉砕能測定法の制定委員会委員に選出された。出てきた委員は大会社の本社の技術担当者だが、実際に測定したことがあるのは、工業技術院の担当者ひとりだけ。委員長は大学教授で測定経験なし。何回かの委員会は大部分私の独演。問題は測定の標準試料をつくること。物質はどこでも入手できる試料としてビールびんを使うことになった。これは工業技術院の提案。最終委員会は熱海の温泉だったが、開会されるや委員長いわく「これから明日の午後まで全員でマージャンをします。三輪委員だけ別 室でひたすら案文を書きなさい」拍手。

 もうひとつ鉱山学会の仕事はフルイの処理能力の全国調査をまとめる委員会だった。委員長今泉教授に当時横山工業の八木 正氏と私の3名。何回も約1年かけて調査項目表を作り、今泉教授の威光で鉱山学会で全国の鉱山関係会社を中心にアンケート調査表を配付。回収率は高く、莫大なカタログなどを資料調査結果 としてまとめたが、発刊にはいたらないままだった。この会は実質は3人の親睦会であった。そのご八木 正氏は私とともに徳寿工作所の顧問になり何年かつきあった。彼は「わしはエンジニアではなくカンジニアとか、フルイは振動機械のスベテが含まれている」というのが口癖だった。

 鉱山学会との付きあいはその後、島根のサンドミュージアムが有名になったとき、今泉先生の推薦で鉱山学会の年会で講演し、先生は最前列で聞いていただいた。

 私は昭電でフルイよりも粉砕機の研究に精出したが、昭和電工の社外秘事項に関わり、会社で発表が禁じられてた。とくにキャナリークラッシャや振動ミルがそれだ。アンドレエフの粉砕速度式に基ずく閉回路粉砕解析だけが発表を許された。また粉体工学通 論のP.164にある(6.11)式は装置内定常流の式と呼んでいるが、装置一般に適用できるもので、アンドレエフの粉砕速度式のところでのべているが、これは振動ミル内流動を考えるときやふるい分け読本のP.169の(6.1)式を考え出したときにも利用できた現場でしか考えつかない式だと思っている。

 同志社大学で開いた粉体工学輪講会でecologyを扱ったテキストはW.B.Sanders Company刊,Turk,Turk,Wittes著"Ecology,Pollution,Environment"(1971)と Van Nostrand Reinhold Company刊"Ecology and Quality of our Environment"(1972)だった。これは粉体工学会のほか、学内でも有志の教授の輪講会で理工学研究所主催で開催した。 おそらく生物学以外の学会でecologyをまじめに学んだのは粉体工学だけだったようだ。この輪講会は名古屋工業技術試験所で行われていたのを、井伊谷教授と私の京都への移動にともない京都に移動したものである。

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