寺院で豆腐製造用の可能性。(韓国の全州大学校教授 徐恵卿報告 韓国のお寺に残されている石臼より)
観世音寺の石臼に関連して韓国の先生たちが韓国の古寺院に豆腐をつくった石臼が多数見つかった例を全州大学校 徐恵卿教授が報告した。中国、韓国、日本はいずれも大乗仏教で肉食を禁忌としている。そのための蛋白源の補給源として大豆を使った食品が重宝された。石臼のほかの用途としては朝食のお粥,豆乳,お菓子の製造のほか,着衣の糊付け用米粉製造をあげている。
場所 | 直径[cm] |
ソウル特別市奉恩寺 | 54 |
京畿道揚州郡懐巌寺 | 63 |
京畿道江華郡普門寺 | |
京畿道果川市戀主庵 | 60 |
全羅北道完州郡大院寺 | 60 |
全羅北道順昌郡剛泉寺 | |
全羅北道鎭安郡天皇寺 | 51 |
全羅南道高興郡*伽寺 | 65.5 |
全羅北道完州郡松廣寺 | 58 |
慶尚南道固城郡雲興寺 | 71 |
慶尚南道梁山郡内院寺 | |
慶尚北道青松郡大典寺 | |
慶尚北道永川郡瑞雲庵 | 38 |
慶尚北道達成郡維伽寺 |
これらの石臼は現在では全く使用されず,運搬に困難な下臼だけが残されている。 いつの時代から使われなくなったかはわからない。
観世音寺や北朝鮮ほど大きいものは見つかっていない。今後の課題だ。 もう一つの発見は,観世音寺の碾磑の上下臼の目のパターンが異常なこと。パターンを電動式で見せるダイナミックな展示物を新規に製作し,シンポジウムの期間中演台に展示し,古代の謎を実感していただいた。その結果,今のまま異常な組み合わせでも上臼を反時計方向に回せば,すこし異常でも交叉点が外へ向かうことであった。逆に回せばこれは絶対に排出しそうもないことも確認できた。これは手打ちそばで知られる早稲田大学の高瀬礼文先生とのディスカッション過程で出た結論であった。
前に観世音寺関連の地誌による朱製造用を支持したが(古代学研究108号(1985)),朱なら深さ12mmという深さでは,水に流されて粗い粒が流出してしまう。現在宇治の黄檗山万福寺に残る隠元禅師ゆかりの豆腐臼の目は5mmだが,これは臼の直径が40cm程度であるためやや浅いと考えられる。 これで太宰府観世音寺の碾磑が豆腐だったという仮説も充分可能性が出てきた。
なぜ豆腐か? 九州北部は海産物が大きな蛋白源である。ここで殺生禁断の掟を教えるのは代用食が必要だ。古代には多数の人々が集まる。そこで野外で豆腐造りイベントが開催された。韓国ではかなり最近までこのようなイベントが残っていたという。わが国でも明治頃には全国にこのようなイベントがあったようである。
奈良の東大寺の厨屋(食堂)に瑪瑙碾磑ありの記述や,唐招提寺に残る碾磑遺物との関連が更にリアルな調査対象になりそうだ。海産物が容易に手に入らなかった奈良や京都で奈良時代に豆腐が現れるのは自然の成り行きだった。
森 浩一教授からの情報(北朝鮮・普賢寺)隠元禅師ゆかりの石臼