磑術の添え書き 

 表紙の裏に、先年若輩の比(ころ)磨直すこと、工者の仁(巧者な人---注)に習いけるに、茶磨のかたですぎ工合を直し目を切り、芯木を建て、挽加減、能仕出杯(ですぎ)なきよう、仕すこと、はなはだ仕がたし。段々数年労して漸く手練熟達に任せ、この喜一冊改めしなり。』とあり、その体(字体のこと…・-注)大小あり、真もあり、草もあり、縄頭の字もあれば指頭の字もあり、墨書あり、朱書あり、行に行を重ね、欄に欄を加え、その上わけがみを貼りて、ここかしこにさげたり。甚しきは塵紙同様の紙に書きっけはりっけたるにも、紙はりて書改めたる塗抹を加えたる、画をかきて消したる、尺をあてあて、消したる色を用いて書たる、始めもなく、終りもなく、三十枚の紙、物の見事に書つくしたる、千状万態真に手許の覚書そのままにて、一生の抄録、聞書この一冊にて事済ししよう、誠に古人の簡約を書とめ、紙を濫りに費さざりし手なみ、万世の亀鑑、このうえあるべからず。殊にその根力の強さ、我吾身に覚もあることなれぱ、一段の感慨を起し、半日、この冊子を以て子供を呼びすえて、教訓を加えたり。

 さてさて古人のゆかしさよ。今どきの者の体たらく、学校子供の紙を費すこと、言語道断なり。一字に字かきては、はふらかし、うちちらし、天物をあらしっくし、金を使うこと三文とも思わず、これ第一、学校の教のあしきなり。昔ならばうるし習字するにも、草紙というものは、墨痕漆のごとくなりしものを、幾年となく用い、末ついには水にてかくとも、下ぬ れざるようになれること、我等手習せしこの風にて、いずこの寺小屋も、みなこのならはしなり。しかるに今の学校にては、草紙にさるものは一向に用いさせず、下書するにも皆、白紙を用いしむることなり。かかる教なる故、宅に帰りていたずら書するにも皆、白紙を用いて、例の一字一字書きては、はふらかす風となるのみならず、道すがら紙をちぎりすてて、道をけがすこと、わけもなきことなり。

 誠に何事も、今古の相違、その間、白雲千里なりといえども、とりわけ、この根力と質素との二徳は、次第く衰えゆきて、国家の疲労を来すこと洛歎にたへざる事ともなり、さてさてゆかしくなつかしきは古人なり、共に談ずべきものは古賢なり。ひまだにあらば書を読みて古人と共に相談すべきなり。今、臼の秘抄をよみて一人の益友をえたるここちして、喜にたへず。子供までも異見してもらひしようなれぱ、そのうちの心得になるべき所以を十二条下に抄出しおくべし。」

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