秘伝書磑術とは

京都府立茶業研究所には茶磨製作に関する貴重な古文書の書き写し(抜書)が保管されている。磑術と称するこの資料は「稼堂老人」なる人物が昭和4年に同研究所に立ち寄ったおりに浄書したといわれ、金沢の茶屋に残されていた古文書を見せてもらって抜き書きしたものが主体になっている。文政3年(1820)改め、天保13年再改めという記載があることと、本文中にも文政3年と天保13年および嘉永2年の金剛砂の価格が出ていることから、大部分は少なくとも文政以前に書かれたものらしい。
 私はこの磑術なる秘伝書の原文を是非見たいものと思い米沢喜六著『加賀茶業の流れ』(1976)の著者金沢市東山の米沢茶店を訪ねて、磑術の原本に一歩近ずくことができました。 
 稼堂老人とは本名黒木植、金沢長町7番丁住、漢学者、国文学者、熊本高等学校教授、雅号稼堂、稼堂双書二四冊が金沢市立図書館にある。文中の同町の野島氏とは野島守真氏のことで、現裏千家業躰野島宗てい氏の先代。したがって幻の文書はここに眠っている可能性が強くなりました。訪問したがたくさんの古文書があって、すぐには出てこないとのことでした。庄田晴江、通 称次郎兵衛については、明治六年に茶商社中が寄進した市内尾山神社の鳥居に名が刻まれている。茶臼をゆずりうけた富田氏とは有力茶商富田長衛門氏で、同家の古文書は金沢市立図書館に寄贈されている。問題は稼堂老人から野島氏に返却されたのかどうかですが、不明。また焼物師の呉三とは呉山のまちがいで本名原呉山氏とわかった。金沢市立図書館にはたまたま私の友人長岡氏が勤務していたよしみで、富田古文書のなかに稼堂老人が返した磑術があるかも知れないので、訪問したが、厖大な資料を目下整理中とのことで見ることを許されなかった。「整理には二五年くらいかかるから待て」とのすげない返事。あれからもうそれくらいの時間がすぎたのでぼつぼつかも。
 なお磑術入手のいきさつを書いた添書がおもしろい。   

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