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奥多摩の山本さんの素人目立師格闘記 

 メールをいただいた方の許可を得たのでアップ ロードします。

古い石臼復活に自力で挑戦した涙ぐましい奮闘記です。そしてついに成功。おめでとうございます。

第1便 (24 May 2001)

  拝啓もそこそこ、うれしさで勝手にメールいたします。 当方、暮れなずむ58歳。「自生の会」というものに入りました。冬山、海抜0メー トルから富士山のてっぺんまで、本州縦断、東海道完走、これらはハードな部類です が、肉体にとって軟弱な催し物は 花、きのこ、地質etcの部もあり、会員もしく は外部の講師により解釈があります。 この会が10年がかりで(できたはずなんですが、雨漏りのため昨年箱根は千石原で 刈った萱をたす作業が今年待っています)。奥多摩にわらぶき小屋を作りまして、新入 会員の私が参加いたしました。 ところが、あまりにひどい鉈、鎌、包丁。 さいわい砥石はなぜか豊富にありましたので砥ぎあげたところ、たった一人の関西は 梅田育ちのリーダーの目にとまってしまい、 「山本さん6月の例会は、炭焼き釜つ くりとそばうちでんね、あんた、そばひき用の石臼の目立てやってーな」 それがこの前の日曜のこと、さてと寝ながら考えたことは、「同志社の先生で石臼に こっておられる教授がおられたな、本を買うか、まてよ、今の時代はインターネッ ト。」 翌朝「石臼」一発で先生のホームページ。うれしいことでした。

返事

名無しの太郎様

 署名がありませんのでやむおえず失礼な名前ですみません。しかたないですね。 問題が緊急を要する石臼の目立のこととか、ご苦労さまです。  ただいま加賀の国の白山山麓で石臼の目立の実演から帰ったところです。 奥多摩で「自生の会」とは優雅ですね。そこならまだ本物の石臼があるのではと思いますが、ツルツルかも知れませんね。それでもとにかく米粒回してから  様子がわかりませんが、私のHPだけでわからないところはどこでしょうか。 http://www.bigai.ne.jp/~miwa/powder/j_sindan.html

 まず石臼診断法でチェックしてください。紀元前にすでに完全なものを作りあげた人間様ですから、道具さえあれば出来るでしょう。

          三輪茂雄

第2便(24 May 2001)

 ひょっとしたら中途半端なメールが先に行っていたとしましたら、深くお詫び申し上 げます。 初めてメールいたしますのに、大変失礼なことですが、 私のレベルでは ”SO S” なにがって、初めて参加した”自生の会”なるところで、みかねて鎌、鉈、包丁の類 を研いだところ、 梅田生まれのリーダーのめにとまってしまい 「山本さん、6月17日の例会には蕎 麦ひいてや」

 この会が、10年以上前からつくり初めて漸く完成するも頭の薄い茅葺小屋で「炭釜 づくりとソバうち会」を6月17日にやるとのこと。 蕎麦を」ひくべき石臼はなんとつるつる。引き受けたからには!

 インターネットで「ISIUSU]。 先生のページが真っ先につられました。 触媒開発を業務とする中で、先生の粉体研究に非常に興味をもってご本を読ませてい ただいたけに手答えは十分。内容はもちろん しめしめでした。 勘所はそこそこわかるも、まったくの石臼の目立てに素人。

 6月17日のソバうち に間に合わせるべく、仕事はそこそこにする覚悟で、先生に間引きされた目立ての要 領をひょっとしてお教えいただけたら幸いとぞんじます。 当方「たたき」を握ったこともなく、渋谷の東急ハンズを訪れ、鏨とたたきまがいの 道具はかいました。 軒先にころがっていたうすは、5〜6mmの山と谷(U字溝)。まったくのつるつる (ひょっとして、もしかして、大変な表現かもしれませんが) すべてにわたって彫る時間は許されていません。 そこでとりあえずのお助けを、まことにかってながら乞います。

1:山の周辺のみ、溝を掘る。

2:その溝も5本ほるところ、2本ですましてしまう。 当然ながら、谷はつるつるのまま

3:谷も2本ぐらいは しょうことなしに溝を掘る。

  なんとか蕎麦を引くことができるでしょうか。 アドバイスをいただけましたら「不幸中 の幸」です、 追)小屋は東京の山奥の五日市からさらにバスで30分。さらに歩いて10分の谷筋 にあります。 先生のページにはこの付近になんと「伊那石」もあるとか!! 先生のご都合は  ”我関せず”。 ご教授いただけましたら まことに幸いで す。

26 May 2001  

 名無しの太郎でございます。

 いきなり、手前勝手なメールにもご返事をいただき恐縮するしだいです。 仲間内だけのメールをぼそぼそしておりましたので、初めての方に自分をわからしめ る基本的なエチケットも知らず恥じ入っています。されど、住所等を自動的に記入す るやり方もわからずのまま、とりあえずしるします。

世田谷区在住: 山本

 石油化学のメーカーに勤めております。現在は特許部ですが、過去には触媒を造粒 すべく粉体の本を読み、先生のお名前を知った次第です。 紀元前に戻って、明日、まずはやってみます。

第3便(Tue, 29 May 2001)

 山本です。 さて できるかな?の不安をいだきながらも 先生の言葉を信じ、「できなきゃ 有 史以前の原始人よ」 と開き直りながらの 五日市。 床下から臼を引っ張り出し、まずは見ること。 こけの生えた中にも、つるつるの山が見て取りました。 空引きしてみると、全面にひきあと。 腰をすえて、全面をたたくこと2時間強。

  先生を話題にしながらの昼飯。握り飯と、家ではなかなか食べさせてもらえない即 席ラーメン。 昨年蕎麦を引いた際は大変な肉体労働だったとのこと。すぐ詰まってしまうので、そ のたんびに臼を持ち上げ、大変な肉体労働だったとのこと(2度とやりたくないの言外の意味)。 先生のチェックリストを思い起こしながらあらためて臼の面をみると、上臼の中心部 まで擦れていました。 

 所有者のぼやきは大豆が挽けない。 すばやく、臼ならぬ頭 を回転し、問題は粒を蓄えるクリアランスがないこと。それれにつきると。 そこで  中心に向かって上臼をさらにえぐり足しました。 さて、米粒を入れての初挽き。 粒を入れる穴からのぞくと、そのまんまの玄米。 がっかりしながらもしょうことなしに引き続けると、割れた玄米がではじめ、さらに 足し続けると「粉」が出始めました。   感動のときです。 ありがとうございました。

 これでわたしもプロとしてひとり立ちできました!? この間、他の仲間は 炭焼きがまをつくるべく、 川筋に入り、数十キロもある石を 背負子に背負い雨の中運ぶことを繰り返していました。 当方といえば、目立てに チャレンジした幸運をひとりほくそえんでいました。 来週は臼の調整と、茅葺屋根に萱の補強をする作業。その前に萱用のギロチンの目立 て。 スパット切れて、萱が屋根まで飛んでいく夢をきっと見ることでしょう。 追)臼のテスト用の米で家内ともめました。1キロ500円の米ではもったいないか ら玄米を使えと家内は主張。そうしました。 しかし、玄米もやはり 500円!! されど、赤黒い粒が白色の細粒に変化していく過程はすばらしいものでした。 粉体工学万歳。 原始人も万歳。 うれしさのあまりのお粗末な一席でした。 一席といえば、尼崎はピッコロホールで聞いた、桂 米朝 師匠の落語のすばらし かった事。 横に細長い、したがってやりにくい 演劇用のホールにもかかわらず、 師匠が私一人にしゃべりかけてくると錯覚させる話術のすばらしさ。 堪能いたしま した。 つぎは文楽? 駄文ながながのご精読ありがとうございました。

「初めての一振り。カーンと跳ね返るのか、砕けた破片がとびちるのか。考えるより も先に エイ!やってみよう。  なんと”ZAK”とした感じ。 あとはモーメント を活かしてたたいていくと何とか横一線の彫りあと。 こうなると面白くなってあっ という間の2時間でした。」  

返事

 原始人の山本様  五日市は私の臼探訪で何度も訪れた場所でなつかしいです。五日市の石屋さんが「息子は石屋だが機械屋で臼屋は出来ない。」と話されたのを思いだします。  ご苦労さまでした。何とか挽けたようでご立派ご立派!! 貴殿の文は初心者に励みになるでしょうから、お名前は伏せて私のHPに引用させていただくかも知れません。よろしく。

第4便 2 Jun 2001

 自宅でも勤め先でもメールにトラブル続きです。 先生に送るメールにサインを入れようと思うと勝手に発信されたり、いただいたメー ルを探してもみつからず、なんとゴミ箱に。 設定を一つ変えるとこのさわぎです。  私のメールをお使いいただいてかまいません。文章としてまずいところもあります ので、改竄願います。 もしもホームページにお使いになるのであれば、若干の感情 を付け加えさせていただきたいと存じます。

「初めての一振り。カーンと跳ね返るのか、砕けた破片がとびちるのか。考えるよりも先に エイ!やってみよう。  なんと”ZAK”とした感じ。 あとはモーメント を活かしてたたいていくと何とか横一線の彫りあと。 こうなると面白くなってあっ という間の2時間でした。」  

第5便

Tue, 19 Jun 2001

 先生のご指導を得て、無事に責務を果たすことができ、お礼もうしあげます。

  去る16日五日市の小瀬戸庵に行ってまいりました。 ビールの空き箱二つの上に三尺四方のベニヤを乗せ、さらに滑り止めの2尺四方のス ポンジ、そして石臼。 。 ベニヤの右奥の角は柱に、右手前は縁側にあたるようにして準備完了。 結果 は最 高。まったく動きませんでした。

  「そこのお姉さんたち、蕎麦引き姉さんやってみない」 と声をかければ、すぐさま 3人姉様(実質的にも)の応募。 屋根の上では雨漏りのする萱の補修。 地べたでは炭焼き釜をつくるべく、鶴嘴、 シャベルを握った男の集団。汗・汗・汗です。 わたしはお姉さん方の指導。頭は使 いようです。 さて、お姉さま方に3キロの無垢のそば。  軽々と挽き始め、そのうちなんと嬌声。

 おまけに 「あたしたち 蕎麦引き 3人 娘」。 さて、そばを提供した主が帰ってくると、びっくり仰天。「全部ひいてしまったの !」 娘どもいわく 「うん、楽しかったからね」 昨年は、磨り減った臼でたちまち目詰まり。屈強な男度もがそのたんびに、むすめた ちに答えるべく臼のあげさげ。 

 実をいうと主はプロの挽いたそば粉を用意してい て、臼ひきにはまったく期待を抱いていないことが判明してしまいました。 翌日は籾殻を取り去ったあら引き蕎麦をさらに2回挽いて粉のできあがり。これには ほんとの乙女も加わりました。 つぎは、主の指導のもと、そば粉に水をくわえての伸ばし。当方の目立てした臼で挽 いたそば粉とプロのそば粉とまったく同じ水の分量で、おなじ粘度になったのが小生 のしゃくの種。 粉300g(?)に対し、水129g。 蕎麦も違えば、臼も違い、その他もろもろ 違っても同じ水の分量でいけるとは! 粉砕された蕎麦の形、粒度分布も大きく異な るはずなのに! 粉黛工学は何を解明したんだろう。 さて練ったそば粉の伸ばし。 見よう見真似でなんとか座布団状。 何枚重ねかにし て次は一番簡単なそばきり。

 ところがどっこい一番難しかったのがこれでした。  真上から力を入れたのがいけなかったようで、先ほどの3人娘の最年長の方はすいす いと切っておられた。 おつぎは、蕎麦ゆで。これは自称娘方にゆだね、 豊富な谷水にざぶり。 いやあ うまかったですね。先生のお宅までヘリコプターで送りたかったぐらいです から。 さらには みなの声。「 目立てがよかったから」。

  冥利につきました。 後始末で臼をひっくり返してみると、こすれたあと。山だけでなく、なんと 谷も、 それも。蕎麦がせり上がって行く側でした。 30分ほど目立てしなおし。これで、 来年も何とか行くでしょう。 ほんの入り口を楽しませていただきました。 先生のお言葉 ”道具があれば何とかいける” 実をいうとこれだけでは励みになりませんでした。 その前の言葉。 ”紀元前には完成した技術!! やってみりゃ、なんとかなるもんです。 味と時間に文句を言わなければ。 ふたたび、ありがとうございました。

閑話休題 鼻歌混じりで我が家に帰ったら、 この一ヶ月の土・日曜のうち 7日を費やしたた め、 、房殿は愛想をつかして実家に帰っておりました。

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