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運命の出会いは鳴き砂と音楽のの共鳴だった

 私と鈴木さんとの出会いは鳴き砂保護運動での共鳴だった。そのことを石塚由紀子さんは以下のように詳しく書き留めている。

報道で貴殿の風船による快挙を知り、私のところで、目下計画中の事と関係し、お教え願いたく、お便りする次第です。教授が中国と米国とブラジルの鳴き砂調査に出かけられ、米国の自然保護の姿勢に、あまりにも目にあまるものがあった。なんとかしなければという気持から、風船を米国に飛ばして環境保護を訴えようとされているという。貴殿にお便りするのに、住所がわからなくて、四月の風船飛行でお世話になった蒲田警察に問い合わせて、わかったわけです。」

 直接ご連絡を受けて、彼はお会いすることになった。教授に、鳴き砂のことをくわしく伺って、すっかり意気投合! 鳴き砂の音が"楽音"であり、歌う砂丘、奏でる砂丘の保護に役に立てることに、彼の夢は大きくふくらみ、この時点で、彼の中では、夢は実現へと確実なものにつながったようだ。”空を飛ぶ夢”が、この時を機に不動になってしまったのだ。それによると、サンドマウンテンという、鳴き砂があるネバダ州リノヘ行く。鳴き砂保護のメッセージを現地の人やマスコミ等に手渡しし、理解を求める。  サンドマウンテンは、高さ18メートル。この地域に住むインディアンは、”祈りの山”として神聖視していた。鳴き砂の音は、魂の声とも言われる。  教授が・この年の春に現地調査したところ、車などに荒され、早急な対応が必要な状況と判断した。米国では鳴き砂への関心が薄く、保護態勢も充分でない。今なら、鳴き砂の音を取り戻せる。このような自然の大切さを、米国の人に理解してもらいたい。お話すればするほど、教授の思いに共鳴したと熱っぽく話していた。  そして6月1日教授に大学での講演会を依頼された彼は、何とか私にわからせようと「一緒に来てよ」という。  またまた複雑な思いでついていく。「心配させるようなことはしない。これからやろうとしていることも、今までやってきたことも根はひとつ。だから、そこへ結びつけたい。そのためのことだから、今度だけは黙ってみてて! これが最後。これが済んだら、音楽に遭進する。僕が何て言ったって、一番やりたいのは、音楽なんだから。音楽あってのすべてなんだから、必ずそこにいくから」  私たちは、彼が大学で頼まれた講演会の4日前に入籍した。記念すべき時に、私に、もう一度言っておこうと思ったのだろう。  「音楽することも、風船で飛ぶことも、人に夢を与えるということで共通しているし、根はひとつなのだ」と、私は共感しているし理解もしている。横浜万博で、幼児からお年寄り、体の不自由な人たちが風船に乗り、皆の喜ぶ姿を見て、彼の夢は一段と大きくふくらんだに違いない。    しかし正直なところ、その計画を聞かされた時、私は本当に実現するところまではいかないと思っていた。口を開けば、「大丈夫なの?」と言っていた。それでも、短い間に準備はどんどん進んでいく。見えない力に動かされ、流されていくように。同志壮大学での講演会には、私は半信半疑のまま同行したのだった。しかしそこで、校内に貼られた彼の講演会のお知らせの大きな立看板を見た。いくつも見た。新聞社から取材に来ており、10月に、(決行したのは十一月)ジェット気流に乗って、米国まで風船旅行すると言い、教授の依頼で鳴き砂保護を訴えるメッセージも持参すると言ってしまったのだ。4月17日、高い空から舞い降りてきて、わずか一か月半後の出来事。嵐のようだった。  講演の案内も、「ジェット気流に乗って、アメリカ大陸へ」   話題の風船男に聞く    題目:死線を越えて夢を追う      講師:鈴木嘉和氏  .皆の前で話す彼の姿と、大学での様子などを見て、「あっ、これ本当に実行するんだ」と、その時、初めて実感した。講演会が終わった後、食事会の席で、この計画についてどう思うかと、私の意見を求められた。私にとっては、この日、実行することを思い知らされた感じていたので、つらい質問でもあり、何をどう言っていいのかわからないくらい感情がゆれ動いていた。「本人が、しっかり考えることだと思いますから」というようなことを言ったと思う。」

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