第3次世界鳴き砂調査団(敦煌)  同志社大学 三輪茂雄,王  勇,松浦義博,太田泰博

1.日程:1992.7.31.から8.14. まで。

2.今回の調査の目的

 昨年度の第一次調査で先方に約束した今年度夏再訪を実現し、中国の鳴き砂保護実現への歩みを更に確実なものとするため、中国科学院砂漠研究所の招聘を受けて、第2次調査を実施した。今回は全員自費調査団である。

 更に本年度は平行して中国科学院考古学研究所そのたを訪問し、中国文明の技術的原点の事物たる碾磑研究の交流をはかった。一見鳴き砂とは無関係に見えるが、パウダーテクノロジ繧フ観点からの文明論構築が鳴き砂研究と不可分であることによる。

3.詳細:7月31日13時35分大阪空港発:19時40分上海着ここで北京行きに乗換(雷のため北京行きの離陸が大幅におくれ、北京着は23時ころになった。 北京兆龍飯店泊(香港流の超一流ホテル)案内は王さんの友人王 雨さん。

8月1日:9時中国科学院考古学研究所訪問:安 志敏:謝 端居氏と面談し、中国には碾磑研究者は皆無であるが、今後碾磑を見つけたら連絡を受け、三輪がまとめることを約した。茶磨については中国ではまったく知られていない現状であるが、中国製であることが確かな実物写真を先方に送付し、関心をたかめて今後の発見に期待する旨先方に伝え、先方もこれを了承した。:14時に人民中国編集部訪問し、安 淑渠譯審と于 淑榮副譯審と面談した。(ここは日本版人民中国編集部なので日本語が上手な人たちであった) 人民中国誌に対してはかって鳴沙山についての記事に関して、意見を述べたことがあってその経過を説明し、今後鳴沙山の保護について関心をもってもらうよう要請した。

 蘇 東坡の「次韻董夷仲茶磨」の詩を敦煌の書店で購入した蘇 東坡全集(北京市中国書店刊(1986) で見せた。

前人初用茗飲時  煮之無問葉與骨

  *窮厥味臼始用  復計其初碾方出

  計盡功極至于磨  信哉智者能創物

  破槽折杵向牆角  亦其遭遇有伸屈

  歳久講求知處所  佳者出自衡山窟

  巴蜀石江強鐫鑿  理疎性軟良可咄

その他の書類もコピーしていただいた。

8月2日 北京から西安へ移動

14時北京空港に着いたが、天候のため離陸がおくれ西安着は21時であった。

8月3日西安から敦煌へ:8時大雁塔見学し、中国仏教の原点の一端に触れた。:15時まで離陸おくれ敦煌着は19時、敦煌賓館入り。

8月4日月牙泉付近の鳴沙の鳴き具合調査のため沙山にのぼった。録音可能な飛行機音があった。しかし満足できる音ではなかった。:民俗博物館で雷神の絵発見。これは雷音寺と関連するのかも。:考古学博物館で碾磑の写真を撮るつもりだったが、1枚だけで監視員の女性がうるさくて不可。8分画であることは確認できた。この碾磑は少なくとも唐代にこの地方が豊かだった時代の水車駆動の石臼であろう。

20時市街地にでて夕食。敦煌風物で街のひとびとは夜は外のほうが住みよいので皆街頭にでる。歩道に店を構えて茶を出す。この場所代をとる。これは商売というより遊びであり楽しみであり、ひとびとのふれあいの場でもある。

8月5日9時から13時まで莫高窟を登って昨年と同じコースで標高300mの鳴沙地点にあがる。。今年は途中で上がれなくなるのではと悩んだが、なんとか目的地まで到達できた。最頂部には上がらなかった。学生2名と王、米沢,屈さん5名で鳴沙を試した。昨年と同じ程度の音量であった。夏の砂が熱い時には高い音が出るというのは実現しなかったし、すべったあとの砂を足で踏んでブンブンもなかったのには失望した。日照が烈しく、皮膚がヒリヒリしてきた(夕方になって皮膚が赤変した)。しかし風があれば暑さはさほどではなかった。

 昼食は2キロほど離れた接待所でとった。15時より莫高窟の仏像を拝観した。

18時ホテルに戻り、入浴して疲れが取れてさっぱりした。20時から23時半ころまで、市街地路面の店にゆき夕食。このとき主人の奥さんが火打ちに興味をもったのがきっかけで、鳴沙の話になったら、彼女が耳寄りな話をした。

 「20年ほど前には月牙泉付近でも大きい音がどこでもした。子供だったから急な斜面を上がるとき大きな音がして怖かった。急な斜面なので足がとまらなかった。」

 これはまことに耳寄りな証言である。この種の証言を敦煌の多くの住民から集めることが、大事だと屈さんへ伝えたが、彼もこれを納得した。来年にはここで沙漠研究所主催で20年まえの鳴沙山を語る会開催を提案しこれも屈さんが了承した。屈さんは敦煌の人ではないのでこのような証言を知らなかったようだ。今年は沙漠研究所の鳴き砂調査研究費がなにがしか出たというから、その仕事として彼がやってくれることを期待したい。彼は「日本でも何か政府からの資金援助を得ることはできないか。」といったが、日本でもそれはまず不可能だ。われわれのこの訪問も自費で来ているくらいだ。ボランチアしか手がないと伝えた。

Many literature (include 敦煌録)about booming sand in the desert were described that the sound could be heared from several km distant.

The ideal state of 鳴沙山 might be such state.I hope,the final ataining level of recovery of 鳴沙山 must be intend to such ideal state for the symbol of environmental clean of whole nature.

It is needed the comparison of another booming sand mountain.

8月6日敦煌から西安へ;9時敦煌発12時30分西安着, 建国飯店入り

8月7日 西安:9時陝西歴史博物館訪問,貴賓室で副館長 Li(李) Wei氏ほか関係担当者と会談(館長は不在),陝西省科学技術協会と陝西省文物局の紹介を得ていたので交渉が順調であった。日本の博物館、サンドミュ繝Wアムなどと交流したい。

8月8日 西安:10時30分 法門寺;韓 金科館長と会談

    茶磨は知らない。写真を送ることを約束。顧問になってくれ。

  茶磨を日本から持ち込んで実演を提案したら是非実現したいと。

  金の茶碾を見学長さ30cmくら

8月9日 西安から上海へ

 10時 始皇帝の兵馬俑から帰り道で磨上臼発見:11時30分揚貴妃の風呂

 12時萬年飯店:13時半坡遺跡:15時鐘楼(Drum Tower)

    西安空港

    上海着

 10時30分 和平飯店着

8月10日 上海:10時上海博物館5階で閘口盤車図(暗くて写真撮影できず)

8月11日 上海;9時朝食後、自然史博物館見学:11時喫茶にて昼食

 西安で買った人形は「紅楼夢」中の人物、黛 玉(タイギョク)

   我今葬花  誰埋葬我

14南京路を散歩し時骨董屋で魚洗

  直径25cmほどの金属製水鉢の持ち手をこすると水が振動で飛ぶのを使って顔を洗う道具(stic slipによる共鳴現象として興味深い)

  参考のため茶磨を聞いたら崋南にあるだろうとのこと

17時有誼商店古玩分店で蛙購入 金を呼ぶ(吸い込む)蛙の故事あり

8月12日 上海 蘇州 往復:7時30分 上海発(車):9時30分 蘇州着

11時 虎丘(HUQIO) 茶室  ( このあたりの石積みに碾磑の姿を探したがなかった。

12時 寒山寺 拙政園 (北宋の寒山・拾得が住んでいたという。

  下記の漢詩と寒山の散水画でかねてからあこがれの地であった。

      白髪重来一夢中   楓橋夜泊 

      青山不改旧時容   月落烏啼霜満天

      烏啼月落寒山寺   江楓漁火対*眠   

      *枕聴猶半夜鐘   姑蘇城外寒山寺       

   北宋の寒山・拾得が住んでいたという。   夜半鐘声到客船       

      *=奇支(そばだてて)          (張継(中唐)作)  

                           *秋心

         楓橋(ふうきょう) を見た。

13時 蘇州市内 酒楼で昼食(江蘇料理)  予約なしのため2軒だめ

14時 蓮苑 西園

15時 蘇州出( 蘇州はイメージしていたのが、漢詩などで余りに幻想的だったためか、現実は失望であった。とくに川の水と景色が観光化していた。こういう聖地には行かないほうが幻滅しなくてよいのだはないか。8月13日 11時5分上海発

 日本へ着いて成田からの特急車外の雨あがりの景色がなぜか美しいと感激。