リンク:サンドマウンテン現地のHPはhttp://www.fallontourism.com/media/sandmtn.html


第2次世界鳴き砂調査団報告(南北アメリカ) 1992年2月10日〜3月4日

                      団長 同志社大学教授 三輪茂雄

                      同行仁摩町役場  浅原 豊

サンフランシスコ:1992年2日20日(木) 大阪空港発

  サンフランシスコ着、領事館へ挨拶訪問: 領事館では鳴き砂に大いに興味をもっていただき、今後の協力OKと激励された。領事 小林祐一

21日(金) サンフランシスコ発リノへ:ガイドは久保田法道(米国三菱商事会社サンフランシスコ支店H.H.Kubota(Mitubisi International Co. San furancisco Branch 50 Calfornia Street. SUITE 3000  San furancisco CA 9411

 ラスベガスに次ぐカジノの町リノは不夜城だった。

 サンド マウンテン:22日(土)空路ネバダの砂漠地帯にあるカジノの町リノに到着。リノから久保田氏の車でファローンへ。ここから約100キロ東がサンドマウンテンのあるファローンである。途中の沙漠地帯は中国と同じ景色だ。

中国で見たと同じネバダ沙漠風景

 現地ファローンではクリーニング店を営む津田氏の協力がえられた。奥さんはサンドマウンテンを愛し、絵をかくなど、文献調査もしておられる。現地の文化活動家でもあり、久しぶりに日本語を話す奥さんだが、雄弁家だった。州立公園内にマウンテンがある。ハイエイ50に沿って行くと、右手に忽然と純白のマウンテンが現われた。高さ120メートル、荒涼たる大地に立つ白鳥を想わせる砂山はかってインデイアンがおそれて近ずくことがなかったという霊山の風貌充分。昨年調査団が訪れた中国・敦煌の大雷音寺で見た鳴沙山と瓜二つだ。しかし東西文明の原点は共通だといっても今のアメリカ人には通じそうもない。この地は太古に湖だったという。山形県飯豊町の遅谷と同じ世代の仲間だ。津田さんによれば静かな夜闇で突然轟音が自然発生するという。

前方があこがれのサンドマウンテン     だが近ずくとデュンバギーがうようよ(みな日本車)

 だがマウンテンに近ずくと予想もしなかった光景が展開していた。無数のデユーンバギー(砂丘を登る四輪車)が麓に待機して、命知らずのアメリカ人ヤングどもが次々に猛スピードで砂山にかけ登る。砂山は鳴き砂の音ではなく、エンジンの騒音で唸っているのだ。しかも車は日本製、ニッサン、トヨタ、ホンダなどの文字が目に入る。トイレはホンダの寄贈。「ドウ ユー ノウ シンギング サンド」と聞くと答えはすべて「ノー」。「なぜここにくるのか」ときけば「たのしいから」と単純な返事。インデイアンがおそれる魔の谷(アリジゴク)も車の轍がいっぱい。前日の雨で砂は鳴かなかったが、乾けば鳴沙山と同じ飛行機の音がでるはずだ。すべて白人で黒人がいなかったのも印象的だった。

徒歩で上がるというと、やめとけ俺の車に乗れという。大きな腹にしがみついて頂上にあがった。魔の蟻地獄ものぞいてみたが、降りる気はしなかった。彼らは平気で轍の跡を造作もなくつくりながら、かけまわっていた。民族性の相違を感じる。

ヒューストン:2月23日リノ発 空路デンバー(経由)ヒューストン着、ヒューストン総領事館訪問:領事は気むずかしそうな方だったが、副領事はもっと話を聞きたそうだった。時間切れで別れる。副領事:和田博秀

       Consulate-General of Japan

       5300 First Interstate Bank Plaza

       Houston,Texas  77002

 ヒューストンの月面科学研究所のクリスウエル教授訪問。彼の録音をなぜか彼自身の自家用車内で確かめた。機密にかかわるらしい。録音のコピーもダメという。中国の鳴沙山で聞いたとまったく同じ音だった。しかし教授は1974年以降ここを訪ねてはいない様子。環境保護に関してもまったく無関心。彼の頭は宇宙に飛んでいた。

レクチャーを始めたCriswell教授

ペンサコーラ (メキシコ湾側):2月5日(火)ヒューストン発 空路ペンサコーラ着:東西240キロにわたってつづくまさに純白の浜。これがメキシコ湾に面するペンサコーラの浜だ。松はないから白砂青松ではなく白砂青海。日本では想像もつかなかった巨大な鳴き砂の浜辺である。陸地部もすべて白砂で覆われ、雪かとまがう絶景が限りなくひろがっている。陸地には葦のかわりにシーウオーツ(海麦)が砂を守っている。このシーウオーツを採取すれば百ドルの罰金が課せられる。州の公園地域に指定されて全く開発の手は入っていない。フロリダ州立ウエストフ大学の学生、本田シゲ子さんが案内役だが、彼女も砂が鳴くことは当然のことと思っていたという。鳴き砂が自然保護のシンボルであることを知って大いに驚いた。究極の鳴き砂セットや蛙砂セットそれにパンフレットを渡すと、ぜひこれを地元の人達にも知らせたいとテレビや新聞社に電話したが、急な話なので取材には間に合わなかった。

Do you know singing sand?

 最近、業者が砂採取の計画を出したが、地元の反対でストップしたという。それはガラス製造用原料や鋳物砂用ですというと、初耳で、鋳物砂は自動車用鋼材1トンに2トンの砂を消費するというと二度驚き。なぜ鳴き砂を守らねばならないのかその原点を明らかにするパウダーテクノロジーが、テキサス州の大学から生まれその後アメリカでは、発達せず、日本で発達したことまで話がはずみ、是非この町と仁摩町に姉妹都市のキズナを作るようにしましょうとまで語りあった。

西フロリダ大学の自然保護警告板

 浜にある海洋生物環境研究所を訪問したが、生物学者のため砂とのつながりまで説明するに至らなかった。しかし打上げ貝の採取も行なわれており、今後のコンタクトが期待される。

 前日の雨のため現地では鳴き砂の声が聞けなかったが、ホテルで乾燥すると忽ち第一級の楽音を発した。よかったアメリカにも完全に保護されている砂浜が現存した。

憧れの水中蛙砂を求めて:リオ デ ジャネイロへ,

現在仁摩サンドミュージアムに展示している蛙砂のヒントを与えてくれたのは、Rio de Janeiroの海水浴場の砂だった。送ってくれたのは1983年12月に当時リオ駐在員だった同志社大学の筆者の研究室出身の尾崎都司正氏だった。海水浴場というからどうせきたないと、水洗しようとビーカーにいれてゆさぶったところ、コロコロと音が出る。水中でも鳴くとは古い時代の西洋の文献にあったし、京都府網野町の琴引浜の現地で体験したことがあるが、実験室で聞くのは初めてだった。うれしくてあちこち持ち歩いて見せていた記憶がある。リオを第2回の旅に選んだのもこのためだった。果して水中鳴き砂の実物に出会えるか。ワクワクの気持ちで赤道を越える旅。

2月26日 ペンサコーラ発着 空路 マイアミ経由 リオ デ ジャネイロヘ:領事館訪問  領事 副島正良

     

       Consulate General do Japan

        Praia do Flamengo,200-10 andar

        RIO DE JANEIRO,BRASIL

  ガイド  Hiroko K.Atkims (女性)  RUA*PRUDENTE DE(男性)

       RUA ASSIS BRASIL<70/201    MORDIS 1162 AP.102

       COPACABANA=RJ=BRASIL      iPANEMA-CEP>22420

                     BRASIL

究極の鳴き砂とは水の中で鳴く砂(蛙砂)である。ブラジル リオデジャネイロに約10年前には存在したことが確かめられているが、昨年度の調査ですでに完全にその特性が失われていることが明らかになった。その原因はTIME誌の以下の記述から海水の汚染である。

   ”リオは泥まみれの宝石だ”

「この浜は旅行者への魅力の多くを失ったが、それは海水が汚染されたことと、近年リオを襲っている犯罪の波に浜辺を歩く人達が攻撃され易いことである。汚染の問題は容易ならぬもので、毎日48日号)00トンもの未処理の汚水がグアナバーナ湾に投棄されているのだ。」(1992年7月8日号)

    [原文]     ”Rio : Soiled Gem" 

Those beaches have lost much of their appeal to tourists,because the ocean water are polluted and because beach-goers are vulnerable to the crime wave that has overtaken Rio in recent years. The pollution problem is grave:some 400 tons of untreated sewage are dumped in Guanabara Bay

every day.....  (TIME, JUNE 8,1992,p.44参照) 

究極の鳴き砂を求めてオーストラリアの海浜を調査した。そして水の中で鳴く砂の現地を確認できたし、観光客の多いゴールドコーストの一部でも、またシドニーでも乾いていれば普通の鳴き砂があった。また研究者にも会うことができた。

 2月27日、折よくリオ名物リオのカーニバルに出合った。街はいたるところカーにバルのお祭り気分で浮きたっていた。ガイドのアトキンズさんに案内されてまず領事館で須山総領事に面会。ここでも「砂が鳴くのはあたりまえと思っていた」とのこと。仁摩サンドミュージアムと調査の目的を理解していただき、これから何でも連絡して下さいと意気投合した様子。

 リオは夏の季節ゆえ、ビーチはどこも満員、活気にあふれていた。しかしホテルが乱立するビーチは完全に唄を失っていた。砂がなくなるので、海中の砂を採取して補充しているという。しかし日本の南紀白浜のように外国の鳴き砂を入れてはいないし、天の橋立のように泥まじりの砂を入れていないだけはまだましだと思った。

 鳴き砂の特性を完全に残している浜を求めて人気の少ない北部60キロまでいって、ニテロイ市ジュルジュバービーチまで足をのばしたが、砂が粗くて鳴き砂ではなかった。そこで南部へ行き、ババデジューカまでいってやっと最高の鳴き砂に出合った。しかしここでもホテルや観光客があふれ、期待した水中蛙の声は出なかった。さらに南下して200キロもゆけばいいというが、時間切れで断念。ドイツの会社へガラス原料として浜砂を輸出している場所も確認できなかった。一つの浜が何キロもある砂浜が限りなくつづくリオの鳴き砂も余命はわずかであろう。今後の積極的なコンタクトが必要だが、手懸かりが得られただけでも成果は充分だったと思う。

2月28日 鳴き砂調査:夜に訪ねた宝石店のスターンでも意外なことに鳴き砂の話に花が咲いた。同店の有田泉美さんは採取したばかりのリオの砂を究極の鳴き砂セットで発音させたところ全く驚きの態。リオのカーニバルのドラムを鳴き砂でやったらと提案し、この6月には東京ドームで披露する予定も告げた。

      有田泉美

      Rua Garia  D'Avilia 113

      Rio De Janeiro

2月29日 再度宝石店を訪ね、究極の鳴き砂セットを寄贈してよろこばれた。

      リオ発空路 マイアミ経由

帰 国 

3月1日  (時差空白日)

3月2日  サンフランシスコ発

      この朝、ホテルのスーベニア宝石店に水晶があったので入ったところ、日本人で水晶はアメリカでもドイツでも幸せを呼ぶとして今ブームだという。水晶の蛙もあったので、蛙砂のはなしや鳴き砂の話をしたところ、私は旅行が好きだから、カリホルニアの鳴き砂を調べたいと熱心だった。

     Kay S. Ohara

       CABLE CAR GIFT SHOP

       San francisco Hilton Hotel & Tower

       333 O'Farrel Street

       SAN FRANCISCO,CA 94102

連絡不備で迎えなく、代理にきた人が、元気な人で車のなかで話がはずんだ。彼はかって70年代に過激派だった様子で、現在でも奥さんがリサイクル運動に熱心で放送局もやっている。知っていれば全米に放送するのだったと残念がった。鳴き砂の意味だけはとにかく入関寸前まで話して、こんごの連絡を約した。

    TADAFYMI NAKAUCHI

    サンフランシスコ旅行代理店

3月3日  大阪空港着

訪米で思ったこと 

風船爆弾極秘計画

 至る所で”ドウ ユー ナウ シンギングサンド”と聞いたがいずれも”ノー”。しかし砂の音を知っている人は鳴き砂の浜近くでは多いが、それは当り前のことと思っている。日本の20年まえのことを思い出す。砂が鳴くことがもつ意味を説明すると誰でも納得してもらえる。それには究極の鳴き砂セットが大いに役立った。そこでもう一押ししてこの砂がガラスや鋳物砂として輸出され、廃棄物になっている話をすると、一様に驚く。今回の調査旅行では通訳など日本語のわかる人だけに接して大いに共感を得たが、すべての南北アメリカの人々に知っていただくには、マスコミを動員する巨大なイベントをしなければならない。何をやるかの一案として「アメリカ本土を攻撃する計画」を各地で話してみた。攻撃と聞いて相手はギクリとする。そこでdetailsを話す。第2次大戦末期に日本軍は和紙で作った巨大な風船に爆弾を積んで日本本土上空の偏西流にのせて攻撃を実施した。面白いことに風船からもれる水素の分だけ軽くする工夫に砂時計の原理を利用しようとしたが、砂が詰まって成功せず、砂袋を吊った紐を爆薬ですこしずつ落とす方法が採用された。いまなら砂時計がそっくり使える。まさに砂時計バクダンである。砂は福島県の勿来の鳴き砂をつかった。このことを知る人はアメリカ人でも日本でも少ないが、当時動員された人達が60〜70才前後の方にたくさん残っている。その人達の協力を得て、爆弾を積んで米本土を攻撃する。爆薬ではなくメッセージ爆弾を乗せる。

”砂の声に耳を傾けてください。

  その声を絶やさないで、

   これぞ天上の声ですぞ”

 そして標的は不勉強でおくれているマスコミ本社、それにガラスと鋳物砂関連企業やゴルフ場のバンカー。

 この秘密計画が発覚すればすくなくとも南北アメリカ本土は騒然となるに違いない。もしかするとアメリカ攻撃と聞いて中国も共同してくれるかもしれない)。

この話を調査先で話したところ大いに共感を得た。「しかし多分アメリカ人にはそのジョークが通じるが、日本では通じないよ。」とはガイドの久保田法道氏(米国三菱商事会社サンフランシスコ支店勤務)だった。

 案の定、サンフランシスから朝日新聞記者にファックスしたが、ボツ。(これには後日談もある。

 

      Ballon bomb will soon attacks on North and South America.

                   Wait for moment.

一方アメリカやドイツでは水晶と蛙が、call happy としてブームという。 まさに鳴き砂の時代である。 案内 兵藤さゆり

      FILIAL RIO DE JANEIRO   

      AV. RIO Branco,156-11.   

      CEP 20040-RIO DE JANEIRO

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