リンク:Singing sands in the World (now in getting ready for translation |
消え行く鳴き砂の記憶
Sands, which have special pecuriare (musical) soud
producing propecrty are called singing sand in the world. The sand are on beach
or desert. The sand on the beach is a sign that shows purity of sea-water. If
we can recover clean sea, the sands in the world will recover the song. Nature
can be revived by the sound of wave motion in the sea or wind action in the
desert, through whoever hope for the restoration of the wonderful sound. Booming
sand in desert is also killed by crowded tourists in many places. Now, the musical
sand which includes both sands above are confronted by two difficulties induced
by their environmet change.
Key words : old Testament, singing sand, musical sand, quartz, environment.
1.まえがき
世界的ギターメーカー社長の横内祐(22)は「440ヘルツは人間にとって,一番心地よく感じる音だ。しかも世界中の楽器が,時間,民族や文化をこえて同じである。ドレミファのラの「音」だ。調律(チューニング)の基本は440ヘルツの音叉で,参加する全部の楽器が音合わせをする」という。鳴き砂は英語でsqueaking
sandのほかsinging sand,またはmusicalsandと呼ばれる。その音は400ヘルツの前後に基本周波数がある。さらにこの周波数の整数倍の倍音が重なっている。鳴き砂が英語でsinging
sand,またはmusical sandと呼ばれる所以である。
ところが今,世界中でこの鳴き砂が人知れず沈黙しつつある。沈黙だけでなく浜そのものが完全に失われた例も多い。鳴き砂が失われることが今直ちに人類に直接害がおよぶ訳でもないから、真剣に取り組む研究者がいない。また研究は広い領域に散在し、集約するのは困難である。全貌は私のみが知る事実が多く,それを体験することは容易ではない。いま私が記録しておかなければ人類は永遠に鳴き砂を忘れてしまうに違いない。本報ではその危機感から,限られた範囲ではあるが、世界の鳴き砂の研究史と現状をまとめた。
2. 旧約聖書と鳴き砂
『旧約聖書』の「出エジプト記」第十九章によれば,モーゼに率いられて、エジプトを脱出したイスラエルの民たちは,三ヵ月めにシナイの山に到着し,ここで神の十誠を授かった。「三日目の朝となって,かみなりと,いなずまと厚い雲とが,山の上にあり,ラツバの音がはなはだ高く響いたので,宿営におる民はみな震えた。モーゼが民を神に会わせるために,宿営から導き出したので,彼らは山のふもとに立った。シナイ山は全山煙った。主が火のなかにあって,その上に降られたからである。その煙は,かまどの煙のように立ち上り,全山はげしく震えた。ラッバの音が,いよいよ高くたったとき,モーゼは語り,神はかみなりをもって彼に答えられた」
このシナイの山とはいったいどこなのか。伝説的な場所として,一応,ジェベル・ムーサ(ムーサ山)とされているが,聖書考古学者の間でも議論が多く一定していない(文献6・16)。
「古くから,シナイ半島のムーサ山付近を旅した人々の間に,不思議な話が伝えられていた。鐘が鳴る山があるというのである。アル・ツールの近くにあるただの砂山だが,ときに大きな音を発する。そこに住むアラブ人たちは,地中に埋もれた修道院があって,僧侶が修道士たちを呼び集めるために鐘(ナクー
Nakuh)を鳴らしているのだと信じてきた。19世紀の初頭,いく人かの科学者たちがこの場所を訪れ,その正体を解明しようとした。その記録によると(文献4・7),この付近には低い砂岩の丘陵が走っている(この砂岩が砂のルーツなのだが)。高さ30メートルほどの,岸に臨むけわしい傾斜があり,ここでときおり,すごい音が聞こえる。ロシヤの博物学者Seetzen(1767-1811)は1810年にここを訪ね,次のように述べた。
「その音は,初めはアイオリアン・ハープの調べに似ており,次には中空の独楽の音に変り,最後には非常に高い音になって大地が鳴動する。その音はギリシャの修道院で鐘の代りにつかわれる楽器の音に似ている。この不思議な音の原因について,彼は乾いた砂が岩の表面できしるためであろうと考えた。1818年にはGrayという旅行者もこの音を聞いたが,彼は近くに温泉があるから,なにか火山性のものだろうと考えた。さらに!823年にはEhrenberg教授が仲間をつれてこの地を訪れ,くわしい観察をした。彼はその丘の下から頂上まで登ってみたところ,一足ごとに音を発した。また多量の砂を斜面に沿って落下させると,初めは静かな音だが,次第に高い音になり,最後には,遠くで大砲を撃っているような,驚くべき大きい音になる。この音はまた,その砂丘を横切って動物が走るときにも起こるし,また風が激しく吹いて砂を動かしても同じ音が出る。またここの砂は透明な石英であったとつけ加えている」(これは今で言うbooming
sandである)。その後も多くの人々がこの地を訪ね,不思議な音の原因とその様相が次第に,解明されていった。その場所といい,その音の驚くべき大きさといい,まさに「出エジプト記」の記述にピッタリであることがますます探検者たちの興味をそそったのである。(沙漠には悪魔の声がという旅行者の記録もある(文献9・14,19・20・21)。
3. チャールズ・ダーウィン
シナイ半島の鐘の山を、ゼーッェンやエ一レンベルクが訪ねた少しあと、進化論で有名なダーウィン(文献8)は、1831年から1836年にかけて、軍艦ビーグル号に乗りこみ,南アメリカ大陸,南太平洋,インド洋の諸島をめぐり,各地の動植物や古生物の化石などを観察,採集した。この大旅行は,のちに生物進化論をまとめるきっかけになったが,その日記風の記録『ビーグル号航海記』に,不思議な砂の話が出ている。「馬が細かい珪酸質の砂に脚をふみこむごとに,虫の鳴くような,しずかな音がするのに気がついた」(1832年4月19日,リオデジャネイロにて)。この小さな現象にも注意して記録にとどめている。その3年後,再び同じ現象に出会った。しかもそれはもっと大規模なものであった。「7月1日にはチリ北部アタカマ州の首都Copiapo(アタカマ沙漠の南境'コピアポ川の北岸)の谷に達した。町にとどまっている間に,私は数名の住人から,付近の山にあるEl
Bramadorすなわち捻るもの,あるいは吠えるものと呼ばれるものの話を聞いた。私はその時,この話をよく注意していなかった。しかし私の承知した限りでは,その山は砂でおおわれており,人が登って砂に運動を与えた時だけ,音が出るのである。これは是非訪ねてみる価値ありと考え,この地のイギリス領事,エドワードとともに,そこへいってみた。現地に着いてみると,砂は全く静かであったが,その砂の斜面を崩してみると喰りが生じ,その音は次第に大きくなった。砂が辷るにつれて音量は増した。響きが増したときには私たちは,ぐらついて,バランスが保てなかった。私も彼も聞いたことであるが,この砂の振動で古い銀山が壊れたことがあるという。その振動が古い作業場の屋根を襲ったのはもっともだという印象であった。この砂の下の大地には穴があいているのかどうかについては知らない。私はこの現象の理論的説明を試みてみたが,満足な解はえられなかった」。
4. H・D・ソロー(アメリカ)
19世紀,アメリカの詩人で,思想家だったソロー(Henry David Thoreau)(1817-1862)はその日記に,こう書いている(文献15)。「マンチェスター村の東南一マイルに,ミュージカル・サンドがある。イーグルヘッドの東側にも,もっと小さい浜だが同様の砂をみつけた。洋傘か指先で速かに,そして強く引っ掻いてみたとき,はじめてその音に気付いた。踵で強くひきずりながら砂を引っ掻けばもっと大きな音になった。Rさんという人は砂の音を聞いてはいないのだが,その音は濡れたグラスを指でこするときの音のようなものだといったが,概ね当っている。私はテーブルにワックスをぬるときの音にそっくりだと思う。砂の音は一つの砂粒が他の砂粒とこすれ合うときのきしり音,すなわちスキーキング・サウンドである。特別に調製され構成された砂粒の摩擦の結果にほかならないと思う。波は荒く,大きな騒音があったが,それでも仲間の踵によって発する音を,10メートルも離れていて聞くことができた。波静かなときには20メートル余りはなにていても聞こえるにちがいない」。このソローの記述は,砂が音を出す原因について科学的説明を試みた最も古い文献のひとつであるし,私が知る限りでは,アメリカでミュージカルサンドについて書かれた最も古い記録である。2000年に現地を訪ねた私の息子から入手した砂は,そのままでもまた煮沸処理でも発音特性は回復しなかったが、砂はその粒子特性から本来鳴き砂になる性質をもっていた。完全に忘れ去られた鳴き砂の浜辺である。5. クフ王ピラミッドに鳴き砂が
「クフ王のピラミッドの謎の部屋から,砂が出たとTBSテレビの報道特集で2度にわたって報道された。1987年12月のことだった。まさかと思う方が多いと思うが,本当である。ピラミッドの権威、早稲田大学の吉村作治のグループが超音波探索で謎の部屋を発見し,フランスの調査班がその位置に向けてボーリングしたところひとつまみの砂が出た、砂は大きな部屋一杯ほど詰まっているらしいという。たまたま現場にいたテレビ取材班がエジプト考古学研究所の許可を得て取材班が持ってきた砂を顕微鏡で見て,私はまちがいなく鳴き砂だと直感した。そのとき丹後半島の琴引浜の砂と並べて比較していたが,どちらがどちらか分からなくなり,再度試料を取り直したものである。耳かき一杯ほどしか入手出来なかったから,それだけでは,音を復元することはできない。その砂はエジプトに近いアル・ツールかも知れないと言ったら,取材班が現地に直行した。その模様は詳しく報道されたが,現地人は「砂が音を出すのは地下にある修道院から聞こえてくるのだ」と,前述の文献にある伝承を話していた。「最近大雨が来て,砂が泥にまみれた」と。とにかくその砂を採取して,私のところへ届いた。これを洗浄して,発音特性が十分あることをたしかめテレビで実演した。担当はTBSテレビの辻村国弘だった。だが私が注目したのは,その時取材班が念のため持参した,同ピラミッド付近の砂だった。前述の出土した砂との差を示すための試料だった。たしかにゴツゴッした荒くて鳴き砂ではない砂に混じって,細かい砂もあったから,これをふるいで粒を揃えて,顕微鏡で見ておどろいた。秘密の部屋からの砂と同じなのである。「なんだピラミッド近くの砂を使ったのか」では面白くないから,テレビの報道では,旧約聖書との関連にしてその話は抜きになった。私はむしろ近傍の砂説のほうが,すばらしいと考えた。現地は荒れた砂漠様の現地だが,数千年前のエジプトの話だ。今と同じような状態だったと考えるより,古代エジプト文明が栄えた約5000年前のエジプトは汚れのない鳴き砂に覆われていたと考える方が自然だ。古代エジプトの自然の環境考古学的証拠物件と考えられるようになった。なお件の秘密の部屋は未探検のままという。この話は2年ほど後に吉村作治主宰の早稲田大学古代エジプト研究会で私が発表した。吉村先生曰く「あの話は外国であちこちで話したが誰も反対はしなっかったよ」と。
6. 英国Eigg島の鳴き砂喪失
前記H.D.Thoreauがミュージカルサンドについて日記に書きとめたのは1858年だった。遇然ながら同じ年にイギリスではH.Millerの書いた"Tne
Cruise oft the Betsy"(『ベッシーの旅』)という本が出版され,このなかにミュージカルサンド発見の模様がいきいきと描かれていた(文献4)。「私の仲間が砂の上を歩くと,特別な音がするのに気づいた。足で斜めに砂をけった。その砂の表面は日光で乾き,サラサラで,発する音はかん高い楽音であった。その音はワックスを塗った弦を歯にくわえてぴんと引張り,人差指の爪で軽く打つときの音にそっくりだった。私は砂の上を一足ごとに斜めに蹴りながら歩きまわったが,蹴るたびにかん高い音がくりかえされた。私の仲間たちは私に従い,みんなでコンサートをやったが,そうしているうちに,もしかしたら,バラエティに乏しい音調ながら,この種の音の出る楽器で,少なくとも,全ヨーロッパぐらいは向うにまわして挑戦できるかも知れないと考えるようになった。ライグ湾にあるこの魚卵岩の砂に比べたら,メムノンの花崗岩のミュージックははるかに劣るにちがいないと思われた」。彼はスコットランドのヘブリシーズ諸島の小島,Eigg島ライグ湾の地質調査に出かけて,魚卵岩(オーライト)の地層質調査に出た砂がミユージカルーサンドであることを発見した。そしてこう続けている。「私たちがを発見した乾いた砂の上へ行進してゆくと、たえまないwoo
wooという音が砂の表面からおこり,静かなときには20-30メートルもはなれたところから聞くことができた。
7-10センチぐらい下に,湿った、やや付着性のある砂層がある場所の乾いたサラサラした砂は鋭敏で,最大の音を発し,足で容易に音を出すことができた。われわれの発見は(われわれの発見は(私はそう考えてよいと信じているのだが),すでに知られているミュージカルサンドの二つの場所、すなわちシナイ半島のジェベル・ナクーとアフガニスタンのレグ・ルワンに第三の場所をつけ加えたのである。このEigg島は,それらに比べればはるかに近づきやすいから,偉い科学者たちが困ったこの現象を調べるのに便利である」。
さて!911年になって、イギリスのCars-Wilson(文献5〕がEigg島を訪ねたが、この頃はなにかの理由で状況が変加ていたらしく、こう書いている「ライグ湾にミュージカルサンドは存在せず,「私が確かめた限りでは,この島の住人は誰一人として私が確かめた事実を記憶していなかった。現在の砂質的条件はその存在の可能性を完全に妨げている砂質的条件は湾の北へ岸に沿って約2.5キロのとろの小さな湾(Camas
Sgiotaig)には確かに,ミユージカル・サンドがあった。この湾は崖から海へ突出した砂洲により二つに分断されている。その両側、ことに崖に密接している石英砂が蓄積しており,ここがアイグ島にただ一か所存在蓄積しており、ここがアイグ島に存在するミュージカル・サンドである。この砂は石灰質砂岩から供給されており,その岩の割れ目や凹所にたまっている。」1962年の記録(文献3)によると、「歌い砂の島一この砂は島の北西の・小さな町ライグと少し人口の多い町グリーステーときや、しかし湿っている砂は晴天いているときや,波が引いた直後には沈黙している。熱い日や乾燥した日にはよく音を発するが,隣のラム島の山頂を横切る雲から夕立が来るとただちに音を発しなくなる。しばらくして,太陽と風が歌う性質を回復する。最高の条件は夏か秋の暑い静かな日で,そのときは波も引き,風の音も波の音もなかった」。この島の砂が水の中でも発音することを指摘したBromの論文に19世紀の1858年にMillerが書いた文が引用されている。
このEigg島の鳴き砂が危機に瀕していると1998年3月1日付メールが著者(三輪茂雄宛)来た(C.J.Fuller氏)。「イギリスには21箇所の鳴き砂所在地がある。中でも有名なのはスコットランドのEigg島であるが,最近売られてつぎつぎに転売された。その一つの砂を調べたが鳴かなくなっていた。海岸から50mのところに防波堤が築かれたせいだという。」
7. 南アフリカ(Fig.1)
南アフリカのKalahari沙漠にブーミングサンドがあることについてはレポートがあるが(文献11)。1999年2月現地から情報が入った。中野紘一(kounaka@global.co.za)「ここ南アフリカ北ケープ州にもRoaringSandとして知られている砂丘があります。近くにはWhiteSandと呼ばれる,周囲の褐色の砂と交わらない砂丘もあります。音は夏乾燥して風が吹くと出るそうで,オリファンツフック(Olifantshoek)の南方78kmの所にあります。当該地域は最近Witsand Nature Reserveに指定されたそうです。
Fig.1 Booming sand inSouth Africa
保護区内には自炊設備はありますがレストランはありません。但し団体さんには,前以て申し込んでおけば食事を提供する用意があるそうです。場所は周囲にある三つの町のどれかから,砂利道を60-80km走らなければなりません。砂丘は標高1200m位の所に位置し,高さ20-30m,幅5km,長さ9kmで,現在雨季の終りに近付いているので,3,4月が音を聞くのに最適の季節になります。残念ながら,ここ数年は,観光客,四輪駆動車,トボガン等のために,以前は聞こえた砂丘ではもう聞こえないそうです。保護区なので,数種類のカモシカが群生しており,三種類の植物形態が分布しています。注意すべき点は,日射病,アブ,ダニ,サソリと,砂丘の下には雨よりも純粋な水があるので,落雷の危険だそうです。」
8. オーストラリアで新しい鳴き砂発見情報
(Fig.2)
1835年2月,CharlesDarwinはビーグル号で西南オーストラリアに上陸したが,彼はここを不毛の地と書いている。最近この地を訪れた川端祐人氏は,ここに鳴き砂を発見して朝日新聞1998年11月24日(夕刊)に記事を書いている。Albanyの近くでフィッツジェラルド川国立公園である。荒れ果てた土地で乾燥と悪い土壌に強い植物だけが生育している。これは表土を覆うパイオニア植物として利用可能かもしれず人類の遺産としてユネスコの人類の遺産としてバイオスフェア計画(bioshere)に登録された。川端氏は「海岸の白砂は鳴き砂で,一歩一歩歩くごとにキュッキュッと音を立てた。」と書いている。オーストラリアはまだまだわれわれが知らなかったことが多い。島根県仁摩町派遣の第4次世界鳴き砂調査団がオーストラリアを訪問したときに現地で会見したAtok教授からFrazer島にも鳴き砂があることを聞いた。彼は島根県仁摩町で開かれた世界鳴き砂シンポジウムに奥さん同伴で招かれて発表したが,時間不足で充分聞くことができなかった。そのクイーンズランド州Frazer島の鳴き砂が最近TBSテレビで放送された。その砂が鳴き砂であることを私も確認しその砂は今も保管している。
Fig.2FraserlslandandAlbanyinAustralia
すばらしい鳴き砂だった。TBSテレビの河野英輔氏からの資料(出所不明)によればその島は南北120キロ,すべて砂丘であるという。何百という移動する砂丘が連なっていると。高さは最高240メートル。それが鳴き砂ならブーミングサンドのはずだ。現地ではその事実を知らないでいるようだ。Atok教授もはっきりその話をしなかった。最近雨の多い密林もあり珍しい野鳥や両生類,樹木の生息地でもある。しかし製材業者や鉱山業者はこの島の保護政策に反対してきた。この島は先住民バジャラ族の言葉で天国を意味する「クガリ」とよばれていた。1万9000年前から2000人近い先住民が平和な生活を送っていた。島は彼等の神話によれば島は創造の神ベイラルの賜物だった。だが1836年にこの島を襲った暴風雨がこの平和を急変させた。それは1992年にこの島がユネスコの世界遺産に指定されるまで続いた。1836年の暴風雨によりこの島の岩礁上に座礁したヨーロッパ人の舟があった。船長Frazerとその妻は捕えられたが,彼のうまい話にのってこの西洋人を大切
にあつかったため,移住者が増え,かれらが持込だ伝染病で先住民は全滅した。開発が進んで,のちには製材所用の林道が縦横に走るまでになった。1971年には多国籍企業がこの島に進出した。環境保護団体の激しい抵抗にもかかわらずこの企業は5年間砂丘地を掘り起こした。金紅石,モナズ石,ジルコン,チタン鉄鉱などが多国籍企業により開発された。1972年に環境保護団体が島の北部1/3を保護の下にした。1992年にユネスコが世界の自然遺産に指定してようやくストップがかかったようだが詳しくは不明だ。
9. ネバダ沙漠のブーミングサンド
Fig.3 ネバダ沙漢のブーミングサンド
(サンドマウンテン)(写真三輪茂雄)
著者がネバダ沙漢のブーミングサンドを訪ねたのは1992年3月だった。Criswell(文献18)から彼に連絡し現地を訪ねた。原住民が怖れて近づかなかった神秘の砂山を期待して,はるばる訪ねたサンドマウンテンだったが,そこには異様な景色が展開していた。なんと日本製デューンバギーに乗った米国の若者たちが群がっていて,誰ひとりとしてブーミングサンドの謎を語れる人物はいなかった。勿論ブーミングの気配もなかった。
案内してくれた現地の日系米国人とこんな冗談を交わした。「これは黙ってはいられない。日本から日本の鳴き砂(福島県照島の砂)で砂時計を時限装置にした爆弾を紙風船に積んで、米本土を攻撃した故事に因んでペーパーバルーン爆弾(ペ一パーは論文の意)を送りましょうか」。この冗談はすぐ現地の人たちに通じて「やりなさい。砂を荒らすのはけしからん。しかし,その冗談は日本では通じないでしょうね」。案の定,この話をサンフランシスコから朝日新聞社にファックスしたが完全にボツになり,その頃突然現れた風船おじさんのマスコミ報道にまぎれてしまった。ぺ一パーが論文を意味することも当然日本では一般に通じない。私の風船爆弾とは帰国後,ネバダ州リノにあるBLM(日本の国土庁にあたる)の出先機関やTIME誌などに,110円の切手を貼って航空便でぺ一パーバルーン爆弾を送った話であった。風船爆弾のイラスト入りで「Don't
kill the singsand」と書き私の鳴き砂関係の論文を添えて,現地保存の要請を書いた。すぐに責任者の署名入で返事がきた。「This isinteresting.」とまえがきがあり「この地のレクリエーション地域管理計画は1985年に書かれ,生態的影響は若干ありました。当時はブーミングサンドヘの影響については利用できるデータがありませんでした。私たちは貴殿の研究に非常な関心をもっており,情報をいただきたいと思います」。さらに現地のチャーチル博物館にも送ったが,大いに私の論文に関心を持ち,コピーを全米にファックスしたと返信があった。当時アメリカで風船による大西洋横断計画があり、世界一周を目論んでいるグループからも私に質問が来た。このファックスがミシガン大学の鳴き砂研究者Dr.Noriにも届いたが、これは2年後に私あての電子メールが来て知った。「貴方のバルーン計画はinteresting.
私もこれをコピーしてワシントンヘ送る」そのご同大と現在もメール交換が続いている。また私のホ'ムページに同大学がリンクしている。世界にインダーネットが普及するのが遅かったのが悔やまれる。
10.死者の曇が泣く
Fig.4 カウアイ島のBarking sand
ハワイ観光のポイントのひとつになっている「緑が美レ1健園の島」カウアイ島(別名ガーデンニァィランド)に,あまり人が訪れない魔の地区がある。二の場所について,1920年の文献(10)でLedouxはこ二う書いている。「そこは古い墓地で,風がたえずこの不毛の地をよぎって吹き,珊瑚の砂で埋まる。漁船はこの沖合を通過するときに週けて通るという。風向きによって,犬の吠えるような不思議な,いとも悲しげな泣き声が聞こえてくるからである。それは死人のさまよえる魂なのだという」。Boltonは1890年にここを調査した(文献3)、「ハワイ諸島,カウアイ島の西岸にあるMama地区に,高さ約30mで1.6km以上にわたり海に平行して走る砂丘がある。そこには海と風の力によって摩耗された貝殻と珊瑚片がその砂丘を覆っている。西は切り立った崖に遮られ,砂丘の基部は海に洗われている。東の端は砂丘で終わり,ここの形は他の大部分の場所よりも対称的で,切頭円錐を広げたようになっている。頂上と,海から約90メートル離れた陸側の斜面は,著しい音響特性を有し,犬が吠えるのに似た音を出す。この砂丘は高さ33メートルだが,ソノラス・サンドの斜面は,それが覆っている地面から18メートルだけである、その最も急な斜面は,31度のまったく均一な角度を保っていて,砂が乾燥しているときは著しく藪きやすく,その平衡を乱せば波状をなして斜面を崩れ落ち,そのとき太い低音の大音響を発する。私の仲問はその音が小型電動鋸の音に似ているといった。砂を動かしてみると,手や足に振動を感じた。音の大きさは動かした砂の量に関係し,ある程度,温度にも関係した。砂が乾いているほど音が大きい。私が訪ねたときには深さ約10センチまで砂が乾いていた。午後4時30分には表面下7.6cmのところの温度が30.5℃,そのときの気温は日影で28℃だった。大量の砂を崩落させたとき,その落ちる方向に直角にそよ風が吹いていたが,私はその音を32メートル離れた場所で聞くことができた。砂を左右の手の間で叩きつけるとホーホーというような音が聞こえた。しかしもっと大きな音を出すには,袋に入れ,それを二つの発音体に分けてから,激しくぶつけ合わせるとよい。この方法は,海岸の砂の発音性をテストする最上の方法だということを私は以前から発見していた。砂丘の頂上には風紋がついていて,しかも一般に31度の勾配の場所よりも砂は粗目であったが,テストするとこれもまちがいなく音を発した。袋にとった砂は,そっとしておけば,その発音能力を維持した。青や紫色の花をつけたコロコロ(kolokolo)という名の蔓草がその砂丘に繁茂し,音の出る斜面を遮っていた。砂丘の基部で60メートルの長さのメーンスロープをみつけたが,そこはこの蔓草がなく,西方へ160歩の間は音を出した。さらにその先94歩は音が出なかった。ハワイの住民たちはこの場所をノヒリ(Nohili)と呼び,この語には特別な意味はないが,砂によって起こる音を,静寂を破られたことに抗議する死者の霊によるものだと考えている。とくに往時には砂丘が一般の埋葬地として使用されていたので,白くなった骨や,よく保存された頭蓋骨があちこちに散乱していた。このように音を出す砂は,カウアイ島コロアの東,4.8キロのハウラでも報告されている。私は訪問しなかったが,そういう情報を聞いた。特別なコネがあって私はほとんど人々が訪ねない二一ハウ島へもいった。この島の西岸カルアカプアと呼ぶところに,高さ約30メートルの砂丘があり,この陸側にソノラス・サンドがあって,岸に沿って約180-240メートルのびている。高さ11メートルの斜面にある砂は,カウアイの砂と同じく動きやすくて,同じような角度を保ち,撹乱すれば音が出る。しかし音はやや低く,斜面の角度もやや緩い。この場所を島の住人たちは知っているが,いままでに書かれた記録はない」。ボルトン博士が訪ねたのはIOO年も前のことである。現状はどうなのだろうか。これについては,1966年に出版された地質学の本(文献17)に記されている。「ハワイのブーミング・サンド(唸る砂)は,カウアイ島のマナの近く,海岸から約300メートルにある海岸砂丘にある。この砂丘は高さ30メートルで,大部分は植物に覆われている。部分的にアクチブな砂丘があり,31度の角度をなす砂の斜面は,植物のない砂丘面上に発達している。カウアイ砂丘は典型的な海岸砂丘であって,陸に向う風により浜辺から陸へ向かって吹き上げられた珊瑚質の砂から構成されている。他のブーミングサンドが石英粒から構成されているのに対し,カウアイ砂丘は石灰質である点がユニークである。」しかし,私(三輪)が1997年夏に現地を視察したが,そこはミサイル基地になっていて,砂は荒れ放題。ブーミング音は出そうもない状況だった。私がカウアイ島のブーミングサンド調査に行くことを,私のホームページhttp://www.bigai.ne.jp/"miwa/で知っていたハワイのラジオ衛星放送のインタビューに来たから,「ハワイの人たちはバーキングサンドの学術的重要性を理解すぺきだと」話した。このことをミシガン大学へ知らせたところ驚いた様子。「私たちも軍の司令官へ申し入れたい」。これらの情報交換はすべて,電子メールとミシガン大学のh廿p://www.persona!.engin.umich.edu/一nori/boomingsand.htm1を通じてだった。
11. 本物の鳴き砂は水の中でも鳴く
前報(本誌46巻第1号)で述べたように,ひと昔前までは濡れていても,また水の中でも,鳴き砂は鳴いたものだし,本物の鳴き砂は水の中でも鳴くものである。発音特性を失って行く過程で,乾燥して鳴く状態を通る。しかし現在では皆無,その事実を語る人もいない。ブラジルのリオ海岸に鳴き砂があることは進化論のダーウィンが指摘したところだ。しかもこれが水中で蛙の声に似た音を発生した。そのサンプルは仁摩サンドミュージアムに保管されている。1991年第2次世界鳴き砂調査団はその砂を求めて現地リオ海岸を100キロあまり探したが,林立するホテル群のプライベートビーチになった砂は完全に唄を忘れ,いうなればなれの果て。その事実さえ現地人は知らなかった。当時ここ十年間のリオの海の汚れは尋常ではないと,タイム誌が環境サミット特集号で指摘していたのに符合する。"Rio:SoiledGem"Thosebeacheshavelostmuchoftheirappealtotourists,becausetheocemwaterarepollutedandbecausebeach-go一
、rsarevolnerabletothecrimewavethathas,vertakenRioinrecentyears.Thepollution)roblemisgrave:some400tonsofuntreatedlewagearedumpedinGuanabaraBayevely{ay....(TIME,June8,1992)
12. インターネット普及後の最近の情報
ネットを通じての情報では19,Mar1996にはアメリカのカリフォルニア・モジャエビ沙漠(Mojave Desert)にあるエウレカ砂丘(Eurekal sand
Dunes)はアメリカ最高の砂丘で、高さは216m,非常にきれいで世界にここしかない花が2-3ある。ハイウエイ395に沿うBig Pineの東1時間 Eureka
Valleyに位置しているという。
また19,Mar 2000にはコロラド州にもモジャエビ沙漠以上にすぐれたブーミングサンドの山(The GreatSand Dunes)ありと現地でその砂丘のガイドをしている人物からメールが入った。そこは国指定の記念物であるだけでなく,今世紀始めの歌に出ていて,その音に感激したBing
Crosbyは"The Singing Sands of Alamosa"と書いているという。花のほか昆虫もいると。しかし筆者のサイトが唯一の鳴き砂情報だった。はじめてブーミングサンドの意味を知ったという。1999年3月4日,砂の試料を入れた封書がイタリアから届いた。その名もバイオリン湾という。「私の名はFabio
Anselmiと申し,9才の息子と世界中の砂を蒐集しています。貴殿のインターネットの砂のサイトはすばらしいお仕事です。私たちも貴殿の研究のお供をしましょう。イタリア中部の西岸にあるGrosseto市に近い特殊な場所からのものです。そこは鳴き砂であるためCala
Violin(バイオリン湾)と呼ばれています。私は貴殿の研究されている音と同じものかどうかは知りませんがバイオリンの名の起源はこの美しい小さな湾の砂の上を人が歩くと特殊な音が出ることに関係しています。そこで私たちはバイオリン湾の砂が本当に鳴き砂かどうかの貴殿からの返事を待っています。私はいずれ砂と鳴き砂について:地方誌に出そうと思っており,そのなかに貴殿(文献4)インターネットサイトの中から2-3のニュースを借用したいと思いますがいかがでしょうか。」
さっそくテスト用ガラスポットで発音させたら文句なしの鳴き砂だった。地中海沿岸にはまだまだ発見が続きそうだ。
13.結言
NASAが月面に設置した鋭感地震計で感知される月震が複数の特定の位置から繰り替えされることから月の砂漠に鳴き砂ありという報告もある(文献18)。研究者と連絡を取ったが,月へのロケットは中断したままで結論はペンディングのままという。空気がほとんどないが,音は大地の振動で捉えられる。砂は発生する静電気で山積みされるらしい。月の砂漠の無音のブーミングサンドとはいかにもロマンチックだが,鳴き砂研究者の21世紀の夢の一つである。火星の方がもっと可能性が強いともいう。以上現在までに文献,実地調査とネットなどを通じて得た世界の鳴き砂情報を総括した。既に本誌の論文で報告済みの事項はすべて省略した。なおそれぞれの現地調査報告などは筆者のHP:http://www.bigai.ne.jp/~miwa/に詳しくでているし、19世紀初頭の入手困難な古い英文文献の幾つかの原文も抄録しているので参考になると思う。
Reference
1. Bolton,H.C.:Trans.NewYorkAkad.Sci.,397-99(!884)
2. Bolton,H.C.,Julien,A.A.:Proc.Amer.Assoc.Advancc.Sci.,33408-415(!885)
3. Bolton,H.C.:Trans.NewYorkAcad.Sci.,1028-35(1890)
4. 4Brown,A.E.:PhilosophicalSoc.Proc.Ser.A.,[21]2/7-230(1961);1-17(1964)より引用
5. Cams-Wilson,C.:Nature,86[2172]51881911)
6. R.E,クレメンッ著,時田光彦訳『ケンブリッジ旧約聖書注解』新教出版社(1981
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8. ダーウイン著『ビーグル号航海記』岩波文庫(1960)9石田幹之助著『欧人の支脚肝究』共立社書店(1932)
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10. Lewis,A.:SouthA丘icanGeog.J.,Vol.1933-49(1938)
11. Lindsay.J.F.,Criswell,D.R.,Criswell,T.L.,
12. Lindsay,J.F.CrisweL,D.R.,Criswe,T.L.,CrisweL,B.S.; Geol.Soc.Am.Bull.,87(3)463-473(1976)
13. MacGregor."Coutry life ofAugust"23rd(1962)(No.4の文献より引用)
14. オドリコ著,家人敏光訳『東洋旅行記』桃源社(1979)
15. Richarsdson,W.D.:Science[N・Y] 50,[Nov」,493-495〔1919)にその引用がある。
16. ライト著,山本七平訳『概説聖書考古学』山本書店(193川
17. Stearns,H.T.:Palo Alto.Calif,Pacific Books,P.266(Geol.Soc.Am.Bull.87(3)463-473(1976)より引用)
18. Lindsay,J.F.,Criswell,D.R.,Criswell,T.L.Criswdl,B.S.:Geol.Soc.Am.Bulll,87(3)463-473(!976)"Sound-producing
dune and beach sands.
19. マルゴポーロ著,愛宕松男訳『東方見聞録』東洋文庫,平凡社(1970)
20. 水谷真成訳『大唐西域記』平凡社(1971)
21. マンデヴィル著大場正史訳『東方旅行記』東洋文庫19,平凡社(1964)
22. 横内柿一著『人間と夢-私の視点』株式会社タニサケ刊(1995)
〔2000年4月6日受稿,2000年4月25日受理〕