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蒔絵
 「英和辞典でjapanをひくと「漆」と出る。Jを大文字で書けば「日本」。発音では大文字の区別ができない。私は高級な漆のネクタイピンを、おみやげにアメリカヘもってゆき、漆について何も知らぬ連中に、その価値の高さを説明しようとして苦労した覚えがある。英々辞典を持ち出して説明した。漆が世界最高級のラッカーであることを、松田権六著『うるしの話』(岩波新書)を参考に詳しく講義したら、やっとわかって、彼らはjapanを自慢して歩くようになった。でもラッカーではいかにも落ちる気がして気に入らんが仕方ない。
 わが国における漆の使用は九千年前の縄文時代と言い、木製食器に塗るようになった。数千年間も泥水に浸っていた遺物が、漆の部分だけは少しも腐らずに出土する。その耐蝕性は抜群、現在のどんな化学塗料も及ばない。ガラスは弗化水素に侵されるが、漆は侵されないから、模様ガラス製造に利用される。また化学工場の腐蝕性化学薬品容器には絶好の内装塗料として使われている。
 この不思議な日本の伝統塗料を勉強しようと、木曽・平沢の漆器工場を訪ねたときのこと。あいにく梅雨どきのどしゃぶりだった。「こんな日には漆がよく乾くんで忙しいんですよ」。洗濯物が乾くのは水分の蒸発だから湿度が高いと乾かないが、漆は冬に一晩かかるところを、梅雨どきには20ー30分で乾く。液体の漆に含まれているラッカーゼが触媒となり、主成分ウルシオール(Urushiol)が酸化して硬化する。(http://web.kyoto-inet.or.jp/people/urushi/urushite/urushite.html)湿分が多いほど酸化作用が促進され乾きが速いのである。
 数ある漆工芸品のなかでも蒔絵は白眉、そして京都は本場。昭和51年度京都伝統産業優秀技術者の表彰を受けた京蒔絵師・富永幸生氏を訪ね、そこで伝統産業の成立条件について考える機会があった。蒔絵コミュニティともいうべき職人集団の存在である。一人の蒔絵師を支えるには、漆掻取職人、漆精製職人、木地師、砥粉職人、塗師、そして道具や材料の和紙、刷毛、筆、椿炭、種子油、角粉(鹿の角を焼いて製した磨き粉)、金銀粉、色粉、螺鈿細工などを供給する職人が必要になる。金粉師の伝統をついでいる彦根の外海(とのがい)金太郎さんの金粉は京蒔絵に欠かせない。氏によると、まず地金を鑢(やすり)ておろし、これを細かい鑢目のある盤上に散布し、鑢目のある金槌で静かに摩擦しながら微粉にする。次にこれを磨いた鋼板上に散布し、その上に鋼線を三、四本配列して、鏝(こて)で針金を転がすと、粉が平らにのびる。そして、さいごには、指先でたんねんにのばす。信じられないが本人に会って確かめて本当にそうなのだと知った。外海氏の粉を電子顕微鏡でみると、一個一個の粒子が均等にうすく伸び、しかも美しい輝きをもっていた。金粉など工業製品がとって代わりそうに思っていた私は、この粉をみて驚歎し、機械技術が侵しえない蒔絵の聖域を学ぶことができた。
 ところで蒔絵は漆で文様を描き、それが乾かぬうちに金、銀、錫、色粉などを蒔く。この粉の散布に使う独特の道具に「粉筒」がある。工学用語でいえば手動微粉体流量制御式振動微量分散供給器であろうか。直径一センチ位の節のない竹や、鶴の大羽根の軸を斜めに切り、切口に紗の裂(きれ)を張る。京都ではお坊さんの衣の切れはしをつかった。粗いものから細かいものまで幾種類か用意する。これに粉末を入れ、傾斜させて片手にもち、どれか一本の指を適度に振動させて散布する。振動させる指を、中指、薬指、小指と変えて飛ぶ方向を変え、紗の裂の面の向きをかえて出る量を加減する。山水の遠景と近景、霞などを鮮かに書きこなす蒔絵師の手は、まさに人間技の極致。蒔いた金粉は透明漆(梨子地漆)で塗り固めてから研出しにかかる。椿炭や角粉で研出すと美しい金色が出る。金粉粒子の厚みの半分まで研出し最大面積にするのが原則。それ以上つづけると、研ぎ破ってしまう。これも年期を要するところ。省力化、大量生産型工業化社会のなかに、労働集約型、高度の人間技術が共存する意味について、ふと 全く違う話題だが、次の一文を思い出した。
 「生物群集の非常に特徴的でしかも一貫一.した特色は、大型で圧倒的多数を占める優先種と、小型で数少ない稀少種が併存し、生態系の条件変化に応じて、ときにその地位が逆転することである」
各地の蒔絵
 最近は各地の工芸品の生々しい写真をHPで直接見ることが出来るようになった。http://www.nusiya.com/ は福井の漆の精製について詳しい。現地で見学している気持ちだ。京蒔絵ならhttp://www.syogando.net/makie/urushi.htmで店で買わせられる心配もなく、ショウウインドーを覗いている気持ちだ。http://www.kagaenuma.jp/kinuya/ お気に入りの器を「選び」、カフェで季節の旬を「味わい」、九谷焼陶芸ろくろ体験を「体感する」。山中温泉の名所鶴仙渓、芭蕉堂入口に佇む、加賀伝統工芸の職人の技に触れられる店。たかが「おみやげ」されど「おみやげ」、喜んで頂きたいからこだわりたいと。
 
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