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鹿野の漢陽寺の唐磨
山口県都濃郡鹿野町の漢陽寺,ここに蓮弁模様の茶臼があることを『植物と文化』(1973年夏9号)から知った。3月29日(昭52)広島の能美島で「からうす」のもちつき実験を行なったが,その足で,鹿野を訪ねた。徳山駅でタクシーを拾い、川上ダムを通ったときの出来事については後にのべる。この寺は臨済宗鹿苑山漢陽寺と称し,大本山南禅寺別格地とされている。開基は応安7年(1374),右京大夫盛見公,開祖は室町時代の名僧、用堂明機禅師である。禅師が明代の中国に学び,もちかえったと伝えられる茶釜と茶臼が保存されている。お茶の栽培と製法も伝え,山城国宇治の茶はそれよりもあとであり,こちらが元祖であるとする説もある。いわゆる[鹿野茶」をごちそうになった。あっさりした味が印象的だったが,これは釜炒り茶といい,生葉を炒ったものである。蒸してから炒るのは後世の変形とわれる。とにかくお茶には古くから縁のふかいお寺で,ここに茶臼があるのは当然かも知れない。問題の茶臼の特徴は次の通りである。
1.上臼の直径に対する高さの比はやや大きい。(上臼高さ)÷(臼面直径)=0.75(新しい時代のものはO.65以下が多い)
2.石質は輝緑岩
3.上臼側面および受皿部側面はもちろん内面全面にわたり平滑研磨加工が施されていない。すべてノミによるタタキ仕上げであるが,凹凸面にザラつきが全くなく,なめらかな凹凸面を形成している。全面にわたる仕上方法は他に類例をみない。(室生寺は側面がこれに類似した仕上げであった
4. 挽手穴には外径7.7cmの蓮弁模様がある。郡山城趾のものとほぽ同じ大きさである。
5. 溝は上下臼とも周縁まで切ってある。周辺で浅くなっているが,明かに切ったあとがある。
8. 目は8分画11-12溝
住職のお話では、目立ては京都から来た職人にやらせた。明治末期頃は、これを挽いた経験があるとのこと。
用堂明機禅師が帰国したのは貞和2年(1346)と伝えられているが、子の茶臼の形態からもその時代(南北朝期の可能性は十分である。
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