リンク:ベークライトの用途は住友ベークライトのHP参照http://www.sumibe.co.jp/


播州ソーメンからベークライト用木粉へ転換

不ニパウダル 大浦忠男:同行 井上良子,同志社大学(当時学生)谷浩吉
 不ニパウダルの川上 登さんから,でっかい石臼があるという情報を得た。さっそく播州へとんだ。かってソーメン用製粉につかわれていた石臼がベ一クライトの充填材としての木粉製造に活躍していた。
1.ソーメン
 ソーメン(素麺)といえば大和の三輪の地に三輪ソーメンがもっとも古いといわれ,三輪神社の神主がソーメンを創業して一般世人に伝えたといわれている.安土・桃山時代(1400-1600年)のことである.これが文化年間(1804-1818)に播州に伝わリ,兵庫県竜野市の揖保乃糸とよぱれる手延ソーメンもこうして始まった。元来は内地産の強力小麦を石臼で挽いた細粒の小麦粉をつかい,播州の良質の塩をまぜてよく練リ,綿実油をつけて手で引延ぱして乾燥した.(現在は輸入の強力小麦粉をつかい,ロール製粉の大製粉会社のものに代っている。.このソーメンの製粉は,大正年間までは水車でまわす石臼で行われていたのである.しかし昭和に入って水車小屋は次第に揖保水系から姿を消していって昭和14-15年頃ほとんどなくなった.そしてその製粉技術は木粉の製造に引つがれることになった.そして今も,かってソーメン用製粉のために小麦を挽いた石臼が,木粉の粉砕に活躍しているのである.時間の関係でソーメンの歴史をたどるのは今回はあきらめて・たつのしんぐう木粉工場のある竜野市と,揖保郡新宮町を訪ね
ることにした.新幹線なら姫路でおリて,姫新線で約30分で「本竜野」,40分で「播磨新宮」につく。

2. 石原製粉繍訪問
 竜野市竜野町嶋田に,石原製粉という木粉工場がある。入口にはアッと驚く大きな石臼のへいがあった。
.もうここでは石臼はもう使っていない.すべて不ニパウダルさんの粉砕機に変リ,分級・集じんにいたるまで現代の粉体プロセスが完備していた。

 

 石原捨雄社長によると,昭和13年に臼にもみよる木粉製造を開始した。昔は樅の木の鋸屑だったが今は米とが(米国産の栂(とが)の鋸屑を原料にしておリ年あぼし、年産50トンという。

 .網干の製材団地に米とが専門の建材工場があリ,ここから入れている。材質が一定していることが必要で,雑木の鋸屑ではいけない。この木粉は主として電気絶縁体としてつかわれるべ一クライトの充填材として使われている。どうしても石臼でつくったものでなければだめとされていた]。石臼のときは臼の目たては2日に一回位やると能率が上ったというから,目立ての仕事も大変だったろうと思った。石は花南岩がつかわれた。庭先にあった石臼の寸法を測ると,直径630mm,上臼は新しいので高さ2尺6寸(790mm),下臼の高さ410mm,副溝の幅30mm(1寸)であった.特徴は上臼の高さがおそろしく高いことである。したがって上臼の重さ約650kgになリ,木粉には大変な圧力が必要なことがわかる。溝は8分画6-7溝式である。

この正確な8分画は恐らく大和の三輪ソーメンから伝わったものと思われる(後に三輪ソーメンの三輪神社で発見した臼が同じ目の形だった)。石のへいの中に,エッジランナー用のかたい安治石のローラーもあった.

これは石粉用に使われたという.同社を出てしぱらく行ったところの,竜野市はつさき神岡町東噴崎町29-1大川輝一氏宅の門に,図・5のような石臼の見事なデザインがあったので写真をとらせていただいた.搗臼もこういう配列に使われると生きてくるようだ。

搗き臼の芸術


3.山本セルロシン製造合名会社
 次に揖保郡新宮町吉島695の山本セルロシンさんを訪間した.奥さん

山本セルロシンさん

のお話によると,この家は150年程前からソーメン製粉を始めたが,竜野からの分家であるという。ここの水車は昭和42年まで動いていたので,今もその遺構がそのまま残っていた。

水車遺構

大きな水車,石臼のほか行燈ふるいがあった

あんどん篩

めたてにつかったぐんでら(めたて道具)

.直径800mm¢,長さ3600mmの12角ぶるいで 80-100メッシュの絹網を張ったもの。ふるいは額縁のようなものに張って、はめこむようになっていた。回転数は24rpmという、この遺構はまさに粉体プロセスの歴史館であリ,保存してほしいものだと思った。ここでは当時も石臼を併用していた。これは特殊用途用にはどうしても石臼である必要があリ,他の粉砕機では,手で握ったとき特有のすベリ特性が出ないためだという。臼の目の形は下図

目の形

に示すように7:3に分けた直線溝である.

また上臼はすリヘるとセメント下図のようにでつないで重みをつけて使い

つなぎ臼〔上臼はつないで使う

 

最小200mmまでつかう。周縁部3寸が接触し,中央部はふくみになっている。.現在使っている臼はみな往時にソーメンに使った古い臼に目立てしたものである。目立てには下図1の道具をつかったが,今はエァーハンマーに代っている。

目立道具

ここの石臼による木粉の粉砕特性を調べるため、臼から出た粉末の試料をいただいてきて粒度測定などをしてみたのが下表の値である。生産量は非常に小さいことが理解される。ミルを一回通して、その8.3%が製品になるわけで、あとは再粉砕いわゆる閉回路粉砕である。これでは経済的に厳しい。

149下は149ミクロン・ふるい下のこと

 

処理量(ミル通過量)80k9/h 30-40℃で粉砕が行なわれる。製品すなわち149ミクロン(100メッシュ)ふるい下の生産量は臼一組当り6.65kg/hr 

友禅の糊用餅米粉の場合は30kg/hrであった。

4. 新宮の石臼供養

1969年3月10日の朝日新聞のニュースグラフに"石のかき根に花が咲く一ソーメンの本場で石ウス利用"という写真入リの記事が出ていた.これは揖保郡新宮町新宮1093の新宮町営国民宿舎"しんぐ荘"にある.明治百年記念に町が計画したもので,町民に石臼の供出を呼びかけてつくられた、 

 同行の大浦さんも以前にここに来たことがあリ,「流しソーメンを食べた覚えはあるが,「そんなのあったかなあ」という。「粉砕の一流セールスマンたるものが何たることか」といって,罰にそこまでドライプの足をのぱしてもらった。あったあった(。

 .数えてみると搗き臼28個,ひき臼140個で、大部分の挽き臼は家庭用だ。石は花崗岩のほか黒い砂岩(上右図)のがあった。大体,雄臼と雌臼が対になっているようだが,孀(やもめ)と後家(ごけ)が仲良く並んでいるのもあリ,「これじゃいい子(粉)もできんわ」と独り言をつぶやいた。

いつの日にひきおさめたるひき臼か
 気のきいた句碑も添えてあリ,市の職員の方々の苦心のあとがしのぱれた(図一16).花のある季節はひときわすぱらしいだろうと思う.ここは春は桜とつつじにうぐいす,夏は水泳と蛍に鮎料理,そうめん流し,秋はもみじに松茸,栗,冬は温泉にすき焼,ぼたん鍋と,四季いつきてもすぱらしく,俗じんをはなれた静かな別天地である(図一1ハ粉体工業協会もたまにはこんなところで総会としやれて,(団体450名様まで宿泊OK,それにとても安い.TELO7917-5-0401),山本セルロシンさんの粉体プロセス史跡


気のきいた句碑も添えてあリ,市の職員の方々の苦心のあとがしのぱれた。花のある季節はひときわすぱらしいだろうと思う。ここは春は桜とつつじにうぐいす,夏は水泳と蛍に鮎料理,そうめん流し,秋はもみじに松茸,栗,冬は温泉にすき焼,ぽたん鍋と,四季いつきてもすぱらしく,俗塵をはなれた静かな別天地だ。

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