みたらしだんごの由来

 丸い団子5つを竹串にさし、醤油のたれで付け焼にしたものをなぜか、みたらし(御手洗)団子という。御手洗とはもともと、神社詣でのさいの浄めの泉水のこと。するとトイレに御手洗と書くのはばちあたりものだ。伊勢物語に「恋せじとみたらし川にせしみそぎ神はうけずも成りにけるかな」とある。京都の下鴨神社には本殿東側に御手洗川そして御手洗社がある。土用の丑の日には御手洗祭が行われ、参詣人がこの川に膝までひたり、無病息災を祈る。かつては社殿の下に年中つきることのない井泉があり、御手洗川を流れて糺(ただす)の池へ注いでいたが、加茂川改修後の水位低下で水が枯れ、今は祭の日にポソプで水を入れている。この下鴨神社と上賀茂神社の祭礼が、かの有名な王朝風俗の優雅な伝統を残している葵祭(あおいまつり)だ。昔はこの日、下鴨神社の参道に御手洗団子の露店が出たが、さいきんは婦人会有志が店を出したり出さなかったりとか。下鴨神社参道近くに「加茂みたらしの茶店」があって、いつでも食べさせてくれるが、今では機械団子。形式はととのっているものの、たれも甘すぎて、伝統は完全に失われている。
 その昔、後醍醐天皇が下鴨の御手洗川で水をすくったところ、泡がひとつ浮き、やや間をおいて四つの泡が浮き上った。その泡にちなんで指頭大の団子を竹串の先にひとつ、やや間をおいて四つつづけて団子をさしたのが御手洗団子の起源とある。昔はこれを十串一束とし、熊笹で扇形に包んだ。奈良本辰也著『京都故事物語』(河出書房新社、昭和偶)によれば一番先の団子は大きくして頭を、あとの四つは四肢を表わし、厄除けの人形で、これを神前にそなえ、祈祷をうけたのち、持ち帰って醤油をつけて食べたという。篠田 統著『米の文化史』(社会思想社、昭和45)によると、関東は一串四粒が多い。五粒で五文だったのが、四文銭ができてから、四粒四文にかわって、関東型ができたとか。  

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