リンク:重油除去作業ボランティアの活動その後


(これは史料です。)

漂着1週間後、1月18日朝の琴引浜風景

たすけて!! 守る会はロシヤの原油再再漂着でピンチ               

 鳴き砂の網野・琴引浜の現状報告です。1月2日事故発生。9日大規模に漂着。10日から連日ボランティアが集まって油回収。15日一応目立つゴミは回収終了。そして私は、おそまきながら17日現地にいって浜辺に出ました。上記はいつもなら今の時期には、漂着ゴミでいっぱいの地点ですが、キレイに清掃されていました。浜へ出ると一見ウソのようにきれいな浜辺でした。めだった重油の気配はなく、大きなゴミは勿論、気になっていたレジンペレットもまったく見つかりません。18日の夕刊などに私のコメントが出ましたが、琴引浜は一息ついている状態です。予想外にたくさんのボランティアが琴引浜へきていただきましたおかげです。町の方々はうれしいのと、とまどいが交錯したようです。
 全国にこの浜辺の鳴き砂のことを心にかけていただいている方々がたくさんおられることを、あらためて知って、鳴き砂保護の重要さを再認識しました。守る会の松尾会長が15日に新聞で鳴き砂健在宣言を出した意味は、人力でここまでやったことを訴えたものでした。
 しかし詳しくみると細かい油が砂の中にいっぱい残っています。今朝になっても少しずつ新しい油が打ち寄せています。今朝18日も朝はやくからちらほら浜辺へ来ているボランティアは若もの、とくに女性連が目立ちます。小さい油の塊を一つづつ集めていました。普通なら冬の琴引浜は荒れ狂う怒涛と雪、それに浜辺にはゴミが漂着して、浜にはサーフィンの若者くらいしかいないのですが、今年はまったく不思議な光景です。

 これからも長い監視が必要ですし、再び余震のように漂着するかも知れません。これからジワジワ少しずつやってくる油がいつまで続くかが心配です。長い時間に飽きがくるのも気掛かりです。
 守る会の松尾会長は災いを転じて幸いを呼ぶ気迫でがんばっています。また息子のヒゲ松尾(松尾庄二さん)は今回の危機にホームページで大いに活躍し自信をつけたようです。
以上とりいそぎ、ボランティアの皆様に感謝しつつ私の現地状況報告です。
         1997.1.18.
              同志社大学工学部 三輪茂雄・

1月18日朝はきれいだったのに。

翌19日には再度漂着したと知らせて来ました。またまた・・。いつまでつづく泥濘(ぬ かるみ)ぞ。果てしない海戦。このロシヤの原油との日本海海戦は、海底2000メートルの本隊(体)を閉じ込めねば解決しない。本体から限りなく漏れ続ける可能性があるという。これには魚網で一網打尽にするしかない。
  
 真冬の琴引浜は荒波が打ち寄せる恐ろしい浜辺で、サーフィンの若者しかいない寂しい景色が普通だが、なんと粉雪が舞い、寒風が吹きすさぶ浜辺で2-300人のボランティアがせっせと作業していた。一見きれいに見える浜辺だが、砂の中には数ミリほどの油の塊が残っている。これは今のうちに除去しておかないと、暖かい春先には溶け出して砂の表面を覆う。それを2ミリメートル目の小さなフルイでふるい分けるわけだ。砂は目より小さいから通過して油の塊だけ網の上に残る。しかし砂が濡れているからすぐに網の目が詰まってしまう。水の中でふるいえば、詰まらずに砂と油の塊が分離できる。
 人事を尽くして天命(自然浄化)を待つ。油は本来自然物だ。過剰な分だけ除けば天命を待てる。それを黙々とやっている。考古学者が指揮しているので地割を正確に浜全体に行って、無駄なく作業しているという。私は機械力を利用する話をもって行ったが、ひっこめることにした。無粋な機械の出番ではない。長さ2キロにわたる浜の前代未聞の清掃活動は人力の偉大さを示していた。
 来年も再来年も1月15日をナホトカ・タンカーデーにしてこのしんどいけれど楽しいイベントとして残るかもしれない。その日は蟹雑炊の炊き出しでも加われば押すな押すなの真冬の琴引浜風景になるに違いない。

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