ナノテクノロジーの時代 白石工業グループ
2000年1月21日当時のクリントン米大統領の演説がきっかけとなってナノテクノロジーが世界的注目を受けるようになった。
20世紀末までは、粉といえば小麦粉を連想するのは日本人だけだった。西洋人はパウダーといえばガンパウダーをイメージした。真っ白な粉の小麦粉を見て驚いた日本人の明治の文明開化の記憶が日本人の遺伝子に組み込まれているようだ。
細かくて粒〃が肉眼で見分けられないとき、粉という。顕微鏡が普及して千分の1ミリのミクロンの世界が見えるようになった。その後電子顕微鏡が出てさらに千分の1ミクロンの世界が見えるようになった。百万分の1ミリメートルで、1ナノメートル(nm)と呼ばれる。一挙に3桁小さい世界に入り込んだわけだ。分子や遺伝子の世界だから神様の世界かもと恐ろしくなる。21世紀初頭の米大統領の演説はそれを示していた。
私が大学在職中はミクロンの世界に住んでいたから、それを粉の世界と思っていたが、退職後 2000-2003年の間、白石工業の社外取締役として勤務してはじめてその存在意義について再認識した。昭和初年から20ナノメートル台の粉を工業的に製造していた会社だ。だから日本で真っ先に電子顕微鏡を導入し、当時京都大学化学研究所におられた荒川正文先生の指導でここで電子顕微鏡の研究が行われ、日本の電子顕微鏡を発達させた。最近では0.01ミクロンというのは変だ。体重70キロとはいうが、0.07トンとはいわないからこれからは20ナノと呼ぶことになった。ようやくわが国でも2001年には通俗科学雑誌にもナノメートルが出てようやく市民権を得た。そして微粒子ナノテクノロジーのパイオニアだったのは尼崎に本社がある白石工業だった。
驚くべきことに現在では年間何万トンものナノ微粒子を工業的に生産している。なんとその会社は明治42年(1909)年に初代社長が白艶崋の技術を創めたというから、粉は粉砕機でつくるものという常識を破った世界初の快挙だったわけだ。ナノテクノロジーも日本が世界初だった。