驚異のバイオテクノロジー『五箇山の塩硝』

  一向宗を救った 五箇山塩硝秘話として放映された

放映:2000年5月8日 富山テレビ(富山県内)プロデュサー横田昌児聞き手は宮崎紀子

 現大阪城は秀吉が石山本願寺の跡に建設したものだ。その前にあった石山本願寺を扱った番組はNHKにもなかった。そのため日本の鉄砲は長篠の戦いで信長がはじめて使ったというのが通 念になっていた。この通念を本願寺文書などを精読して覆す番組である。歴史家ではなく粉屋がなぜそんなことを言い出すのか。それにはまず土が粉だというところから理解する必要があったからだ。

 放送は予定通りおこなわれ、私はビデオをもらった。それに高田善太郎さんが縁の下の土から塩硝に成功した話や、「塩硝は五箇山文化の伝承である」と塩硝製造の復元に熱を入れている羽場誠一さんの実験室が紹介された。これは実験民俗学の優等生だ。

 この放送は地方テレビでこそ可能な放映だった。NHKなどがいまだに鉄砲を初めて使ったのは信長と長篠の戦をたたえているバカサ加減にたいする警告になればと思う。

 そしてこれが本願寺発の製造技術開発だった事実と、石山本願寺が最後には和睦という日本的解決をかちとり、仏教温存に成功したことがもつ歴史的意味が重要だ。信長が持ち込もうとした西洋文明の東洋征服の武器だった日本のキリスト化を塞き止めた。

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