読書紹介

 -人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ-

石弘之,安田喜憲,湯浅赳男著『環境と文明の世界史』(洋泉社,2001.5.22刊)720円

著者は国際日本文化センター所長,花粉の考古学からはじまった著者は、花粉から植物の考古学、森林学と発展し、今や世界文明論にばく進しているスゴイ学者である。

 この本の帯には数々の文明や帝国はこうして滅亡した!現代文明は生き残れるのか・・とある。

 ショックングなまえがきからはじまる。

 「南太平洋の絶海に浮かぶイースター島は、起源不明の島民とモアイと呼ばれる巨大な石像群、そして未解読の文字などによって「世界の七不思議」の一つとされてきた。18世紀に初めて島を訪れたヨーロッパ人たちは、巨大な石像や精巧な石組みの祭壇と、みすぼらしい身なりで日々戦闘に明け暮れる島民とのあまりに大きな落差に驚いた。そのため、高度な文明をもった別の民族がイースター島の石像文化を築いたと考え、それ以来島民の起源をめぐってさまざまな説が唱えられてきた。しかし、研究の結果、新たにわかった事実は悲惨だった。太平洋全域に拡散しているポリネシア人たちが大移動をしたとき、紀元後5-6世紀に渡ってきたわずか数十人の一団が現在の島民の祖先であり、彼らがこの島に高度な文化を築き上げたことが解明された。だが、16世紀半ばには、瀬戸内海の小豆島ほどのこの島で、人口は7000人以上にも爆発し一食べ物から樹木まですべての資源を消費し尽くしてしまった。最後は部族間の紛争に発展し互いに食い合うまでになって衰退していった。これこそ、環境の歴史が警告する「地球の未来」ではないか。」

 環境考古学のパイオニアである安田氏と経済人類学の湯浅氏および環境学の対談形式で書かれている。 いままで知らなかったことが次々にでてくる。まず遺物の年代決定法として炭素12は正確ではない。木材の年輪法は1万2000年が限度だが、氷河の年縞は10万年前まで遡れる。湖の底に堆積した地層も利用される。北京原人が火を使った始まりというのも、修正され世界最古の火を使ったのはケニヤの遺跡などで140-160万年前。などなど。人類史は大きく書き換えられる。

 中国の発掘による長江文明の話も興味深い。私も石臼の歴史と鳴き砂を追って訪ねて中国の敦煌を訪ねたとき、その沙漠に無数の水車小屋があったという古文書の記述を信じるとこができなかったが、本書を読んではじめて納得できた。かってそこに森や川があったのだ。

安田喜憲著『日本よ森の環境国家たれ』(中公叢書,2002)

 これは最新刊。人類文明史を家畜の民が生み出した文明(動物文明)と森の民がつくった文明[植物文明)とがあるという。

家畜の文明であるアングロサクソンと漢民族の爆発的拡大に対抗して存在する森の文明は長江文明や縄文文明がルーツであるという。漢民族による長江文明の征服から海へ逃げ出した民は流民となって近くは日本王列島、遠くはアメリカ大陸へ到達し、インカ,マヤ,アンデス文明を作ったという。コロンブス以降に起こった西洋人によるインディアンの征服やアンデス文明の滅亡を自ら現地調査して、その遺物のなかに長江文明の影響を指摘している。そして森が滅びるときは国が滅びるときだと断言する。日本人よ決起せよと書きたいようだ。彼しかわからない世界観は以下の記述から納得できる。

「深い森に覆われていた地中海沿岸の国々地中海を旅した人に、かつて地中海沿岸の山々が深い森に覆われていたと言うと、とても信じられないという顔をする。あのハゲ山がつづき、森のひとかけらも見ることのできたいギリシアやイタリア、あるいはトルコ西海岸やシリア、レバノンの山々に、かつてうっそうとした森が生育していたことを想像するのは困難である。しかしかつて地中海沿岸の国々は森の王国だった。これらのハゲ山にはかつて深い森が生育していたのである。

 それも大昔の話ではない。わずか2000-3000年前までこれらの山々は深い森に覆われていたのである。そのことを実証したのは花粉分析という方法である。花粉は肉眼では見ることのできない小さなものであるが、たいへん強い膜をもっているため、酸素やオゾンの影響を受けにくい湖沼や湿原に落下したものは、何万年でも形を維持して保存される。そこでこうした湖沼や湿原をボーリングして堆積物を採取し、その土の中に含まれている花粉の化石を抽出して顕微鏡で観察し、どんな花粉がどれくらいあるかを調べることによって過去の森林の様子を復元できるのである。」

 そんな立論にたって下記の記述がある。一見過激にみえるが、納得せざるを得ない説得力を持っているのがスゴイ。

「神道は「森の宗教」である。世界の巨大宗教が教会やモスクあるいは寺院を建立して森を破壊した。これに対し、神道は社を建てて森をつくったのである。このような宗教は世界でもまれである。神道は縄文時代以来の森の宗教であり、神道の根幹を形成するのは森の哲学である。.ヨーロッパのカトリック教の国々が「ローマ法王を中心とする神の国」であるといっても、誰も異論をとなえないであろう。それと同じように、「日本が天皇を中心とする森の神々の国」の伝統を有していることは否定できないだろう。なぜなら日本の天皇は縄文時代以来の森の宗教としての神道の頂点に立つ祭司としての性格を強くもたれているからである。かつてこのような森の宗教、森の哲学をもった人々が広く世界中にいた。しかし、そうした「森の文明」や森の宗教をもった「森の民」は、森を破壊する宗教や文明をもった「家畜の民」によって駆逐され辺境の地へと追い払われた。現在ではこうした「森の民」は、アメリカインディアンや、中国雲南省などの少数民族、さrに東南アジアなどの少数民族となってほそぼそと生きているのが現状である。

 そうした中で、日本民族だけが、先進国としていまだに森の宗教をもちつづけているのである。日本列島の国土の70パーセント近くもがいまだに森で覆われているのは、日本民族が森の宗教をもちつづけたからにほかならない。植物を愛された昭和天皇を記念する日が「みどりの日」であるのはまことにふさわしいと思う。その「みどりの日」を「昭和の日」に変えようという意見が、こともあろうに森の宗教を担う神道の一部の人々の中からも発せられていることは、まことに由々しきことである。言うまでもなく昭和は戦争の世紀だった。「みどりの日」を「昭和の日」にかえようという人々は、神道を森の宗教ではなく戦争の宗教とみなしているのではないのか。それは神道の本質をゆがめる大きな誤解である。」

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