某女子大教授との交信記録

某女学院大学 O教授より(06.10.07)
「源氏物語の夕顔の巻に出てくる碓(からうす)は足で踏んでそれから出る音が「ごほごほ」と書かれているが、これは「ごうごう」といいう音がでるから出るから「すりうす」ではないかと思うのです。するとどのような形のうすなのか。玄米を精白するためのうすなのか、それとも米や小麦を挽いて粉にするためのうすなのか。「足でふみならしてというと搗き臼のような気がしますがいかがでしょうか。そのように臼の形態が分かれます。それとも水車を足で踏んでいけば歯車が回って水音が「ゴボゴボ」とするかもしれない・・・とも思ったりします。」
とありました。
 そこで以下のように返事しました。

某女学院大学 O先生 宛返事(06.10.10)
 拙著を詳しくお読み頂きまして光栄です。食生活研究誌は私も以前連載しまして懐しいです。実は私の助手に来ていた初代の助手が同志社女子大の調理学科だったので、私の研究は調理そのものですねと言ったのが思い出されます。以来女子大の調理学の先生との交流もあり、最後は研究会に出ていただいたり、シンポジウムの講師をお願いしたりとしていたものです。そういえばその通りですね。ただ一般的に粉と言っているだけのことですものね。なーんだそんなことかですね。
 ところで源氏物語の記事は日本古典全集に出ていたようですが、私は見落としていました。「ごほごほと、鳴る神よりもおどろおどろしく踏み轟かす碓の音」ですが、私は実際に碓(うす)を製作して、自分で米搗きをやりました。おそらく現在生活ではあり得ないことでしょうが、1945年の終戦から、丸一年間、食料事情が悪くて、田舎で江戸時代以来の生活を実体験できました。米搗きは本来自分でやるものではありませんが、当時は百姓は供出制度があって、生産量が把握されないよう、外注はできずに、家内でこっそりやる必要がありました。勿論1軒の隣家では聞けたのでしょうが、何処も同じようなことをやっていた時代でした。
 そんな実情でのこの丸1年間の生活は、たいへん苦しいものでしたが、これがその後の私の生き方を変えたように、思います。これを大学で学生に話しても、だれも信用してくれませんでした。当時は畜力利用も必要で、牛を飼い、そのお尻を叩いて歩く漫画を板書して学生に話すのですが、だれも信用しませんでした。無理もないですね。
 そんなで「踏み轟かす碓の音」どころか、その作業の厳しさを体験しました。二宮金次郎が踏み臼を搗きながら読書したというのは、大嘘だというのもその体験からです。頭が上下して読書は不可能です。それに大変な労働で、1万メートルマラソンに匹敵する重労働でした。
 余計なことを書きまして前置きが長過ぎですが、米を搗くときは、大量の玄米を搗き臼に入れて搗きます。少量だと粉が出来ます。私が表面粉砕と言っている現象です。すると絶対に「トントン」ではなく、まさに「ごほごほ」かも知れません。とても凄い実際に聞いた現実感ある表現だとおもいますが、いかがでしょうか。
 別にわが国に挽き臼が中国から伝来したのはどう見ても室町時代以降ですから、絶対に源氏物語(1004ー1011)で水車が回っている筈はないのですが。
 
 三輪茂雄

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